生長の家正統派青年のブログ

生長の家青年会一信徒の個人のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

大聖師の家系が明らかになる

 かつて谷口雅春先生(無論、谷口雅宣先生も)が藤原朝臣であると聞いた時は、私も藤原朝臣であるから親近感を抱いたものである。

 奇しくも、反生長の家のブロガーである山ちゃん氏が谷口家の家系について詳細な研究を発表された。

tecnopla1011.blog.jp

 その結果によると、谷口家は藤原秀郷の末裔である波多野家の分家である。「内大臣鎌足曾孫左大臣魚名裔」(魚名流)と言うことになる。魚名流の総本家は四条侯爵家である。

 藤原秀郷以降の系譜を示すとこうなる。

秀郷――千常――文脩――文行――公光――経範――経秀――秀遠――遠義――義通――波多野忠綱――波多野義重――波多野義泰――波多野泰重

 この波多野泰重が谷口泰重とも名乗っていたらしい。彼は南北朝時代の人物で新田義貞に仕えていた。

 山ちゃん様の記事によると、丹波波多野家は谷口泰重の父の義重の曾孫の波多野経基から始まっていると言う。ネット上では波多野経基が波多野泰重の孫であると言うものもあれば、全然別の血統だと言うものもあって、どの情報もそれぞれ別々の家系図を根拠にしているようなので、俄かに断言はしがたい。

 一つの作業仮説を言わせていただくと、山ちゃん様とは若干意見が異なるが、私は谷口家と丹波波多野家であれば谷口家の方が本家ではないか、という仮説を持っている。

 『神戸地誌』によると谷口泰重は「人皇九十九代後光嚴院ノ御宇」に湊山に入植し、今の烏原水源地のあたりに住んだと言う。その場所の地名から「谷口」の名字になったと思われるが、問題はそれが後光厳天皇の御代であった、と言う事であろう(それにしても「ごこうげんてんのう」と入力しても変換されないのは問題である)。

 後光厳天皇正平一統と言って、室町幕府内ゲバによって北朝が一時的に南朝に降伏し、北朝上皇天皇・皇太子らが全員南朝に誘拐された後、北朝側が擁立した天皇である。

 つまり、谷口泰重が大楠公と一緒に戦った湊川の戦いよりもかなり後であるから、彼の晩年の本拠地は今の烏原水源地のあたりであると考えて問題は無い。もっとも今の湊山町には烏原の地は無く、烏原水源地は千鳥町であるから厳密には違うのかもしれないが、湊山町から烏原水源地は歩いてすぐの距離である。

 そうすると、丹波波多野家は谷口泰重の子孫が湊山の地から出て行って丹波に行ったのであろう、という仮説も成り立ちそうである。

 その後の系譜については、山ちゃん様が「谷口治郎右衛門⇒谷口左衛門⇒谷口重兵衛⇒谷口音吉」と記されている。谷口音吉様が大聖師谷口雅春先生の父親である。

tecnopla1011.blog.jp

 無論、この「⇒」の間は省略形であるし、また「治郎右衛門」「左衛門」「重兵衛」と言うのは通称であって実名ではない。ただ、当時の住民票に当たる『宗門人別帳』には実名ではなく通称で記されているはずなので、彼らの実名を知ることは困難である。

 従って、山ちゃん様は調査しうる限り最大限の結果を出されたものと思う。生長の家の信徒として感謝したい。

頭注版再発行に必要なのは社会事業団の決断です

 現在、生長の家の代表的な聖典である『生命の実相』(複数の版あり 頭注版は全40巻)や『真理』(同左 新版は全11巻)が、事実上の発禁処分となっています。

 理由は、生長の家関連団体である生長の家社会事業団(以下、社会事業団)が『生命の実相』等の著作権を握っているのですが、社会事業団は自民党日本会議と近く生長の家の布教方針に反対しているため、嫌がらせで出版を認めないのです。

 この件について、安倍信者ビートルズファンのアクエリアン氏がトキ掲示板においてこんな投稿をしていました。

谷口雅宣総裁の考え方ひとつにかかっている (47643)
日時:2022年01月23日 (日) 18時53分
名前:アクエリアン

>>生長の家社会事業団が絶版にした谷口雅春先生聖典一覧(2点)
頭注版 生命の實相
愛蔵版 生命の實相<<

では、この問題の解決のためには、何をすればいいのか。

それは、ズバリ、現教団が、最高裁判所で決定された著作権者に、正当な印税を支払うことに同意し、日本教文社で、頭注版 生命の實相、愛蔵版 生命の實相を刊行すること、これですな。

これでこの問題は一挙に解決でしょう。

谷口雅宣総裁、どうですか、ここはひとつ、一大決断を!!

この問題の本質は、いかにすれば生長の家創始者の教えを広宣流布することができるのか、これですから。

 

 どうもアクエリアン氏は「現教団が、最高裁判所で決定された著作権者に、正当な印税を支払うことに同意し、日本教文社で、頭注版 生命の實相、愛蔵版 生命の實相を刊行すること」でこの問題が解決できると思い込んでいるようですが、同じ安倍信者仲間を無意識に悪者にしたくないため、正確に事実関係を把握できていないようです。

 生長の家が社会事業団に支払わなかったのは、初版革表紙『生命の實相』復刻版の印税だけであり、頭注版等の印税は元から支払っていました

 革表紙復刻版について「印税が払われていないから、出版を拒否する!」と言うのであれば(生長の家と社会事業団間で見解は違うものの)理解できますが、社会事業団は印税が支払われていた頭注版を含む出版を拒否し、且つ自分たち自身も頭注版を出版しないことにより、自身の印税収入を減らしてまで頭注版出版を妨害したのです。

 社会事業団に頭注版出版が物理的に不可能な事情がある訳では、ありません。事実、一時期は電話で特注すれば頭注版もオンデマンド印刷をすると言っていたのですが、それも電話を特注があった場合にしか印刷せず、また現在刊行中の光明思想社『生命の実相』に収録されていない巻だけの販売に留まっていたのです。今ではそのオンデマンド印刷すらもしているか、不明です。

 しかも光明思想社版と頭注版の巻数は対応関係にないため、一体どの巻ならば印刷してくれるか、一切不明な状況でした。

 繰り返しますが、生長の家は頭注版『生命の実相』の印税を社会事業団に支払っていました。なので、もしも「自分たちで頭注版を印刷したい!」というような事情があるのであればともかく、そういう事情が無いのであれば、頭注版の出版を拒否しても社会事業団には1円の利益にもならないのです。

 現に、社会事業団は頭注版を特注でのオンデマンド印刷しかしていないため、一般書店でもインターネットでも頭注版を販売しておらず、販売していない以上、1円の利益にもなりません。

 もしも社会事業団が生長の家に対して頭注版の発行を認めたならば、一般の書店やインターネット上のみならず、生長の家総本山や宇治別格本山、各地の教化部、道場等での売り上げから印税収入が社会事業団に入るのであり、生長の家にとっても社会事業団にとってもお互いが利益になる道であるにもかかわらず、社会事業団は拒否しているのです。

 tapirさんも総裁先生に対して何やら先入観があるのか、アクエリアン氏に同調して次のような投稿をされています。

 (47665)
日時:2022年01月24日 (月) 16時38分
名前:tapir

アクエリアンさまのご投稿に心より賛同いたします。

>それは、ズバリ、現教団が、最高裁判所で決定された著作権者に、正当な印税を支払うことに同意し、日本教文社で、頭注版 生命の實相、愛蔵版 生命の實相を刊行すること、これですな。

これでこの問題は一挙に解決でしょう。

谷口雅宣総裁、どうですか、ここはひとつ、一大決断を!!<

今でも、『生命の實相』の輪読会は、日本全国で、公にあるいは家庭内で私的に行われていて、多くの信徒の心の支えになっています。運動の支えにもなります。

なにとぞ、ご決断を、お願い申し上げます。

 

 総裁先生の決断が問題なのではなく、総裁先生を頂点とする生長の家はこれまでも社会事業団に印税を払ってきたのですから、今問題となっているのは、社会事業団側の決断です。

 どうして自分の収入を減らしてまで生長の家の活動を妨害するのですか?

 どうしても自民党公明党を支持しない生長の家が嫌いで、自民党公明党を支持する仲間たちとだけ活動したいのであれば、自分たちで出版すればいいのにそれもしない。

 大聖師谷口雅春先生から著作権を寄付されたのはその印税収入で社会事業団を運営するためであったはずなのに、自分から印税収入を減らすと言うのは、生長の家憎さに自分で自分の首を絞めていると言う事なのです。

 社会事業団の皆様には冷静に判断していただきたいと考えます。

今の自民党は谷口雅春先生の支持した自民党では無い

 生長の家の信者やこのブログの読者の皆様には明白なことであるが、生長の家反自民・反公明の立場である。

 しかし、日本会議系の団体である「谷口雅春先生を学ぶ会」(以下、「学ぶ会」)を称する団体が、生長の家創始者である大聖師・谷口雅春先生の名前を騙って「自民党支持」を訴えている。

 学ぶ会は「谷口雅春先生」の名前を冠してはいるものの、その実態は専ら自民党日本会議を支持するために正統な生長の家を攻撃するための組織である。「安倍晋三に学ぶ会」と改称した方が良さそうな方々なのである。

 その学ぶ会の前原幸博副代表(HN「破邪顕正」)が、次のような文章を掲示板に投稿していた。

〝「谷口雅春先生を学ぶ会」は自民党を支持して、軍国主義に手を貸すのか!〟というご批判を頂戴いたしましたので…NEW (13993)
日時:2022年01月14日 (金) 12時34分
名前:破邪顕正


現教団の信徒らしき方から、凄い剣幕で、上記のような批判をいただいたという話を聞きましたので、それで思い出した話を書かせていただきます。

実は、ご顕齋のとき、住吉大神のご神体として、〝剣〟が奉斎されることを聞いて、それは軍国主義ではないかという、攻撃的な批判をなした人があったのです。

それに対する尊師のご回答が実に素晴らしいので、ここに、ご紹介させていただきます。

生長の家』誌・昭和50年7月号にあります。

《平和主義だとか、軍国主義だとか、そんな一辺倒な概念的な語(ことば)でひと括りに総括してものを考えるべきではないのである。それは生け花に用いる鋏は軍国主義ではないかというにも似ている。「鋏は切る」切ることによって秩序があらわれるのである。》

ここに言われる、「秩序」。

これはとても大切なことであります。

同書には、そのことがこう記されています。

《神は混沌(caos)を征服する〝秩序の智慧〟である。智慧は心の中にある〝美の秩序〟である。混沌には美はないのである。》

その「秩序」をあらわすには「切る」ことも辞さない…。

それを尊師は生け花を喩えに、こうお諭しくださっています。

《秩序にかなわないものは〝切る〟。この事によって、〝美〟は一層うつくしくあらわれる。これは生け花に於いて鋏が必要である所以である。秩序にかなわないものを切り棄てるとき、美が一層生きてくるのである。内にある生命が、外にその〝美〟の姿をあらわそうとするとき、必ず切り棄てるはたらきがなければならない。》

表題に紹介した人もそうですが、とにかく「谷口雅春先生を学ぶ会」を貶めたくて仕方がない人たちがいます。

 「現教団の信徒らしき方」と言うのが誰かは判らないが、恐らく正統な生長の家の信徒なのであろう。正統な生長の家の信徒は反自民である。

 彼による、学ぶ会に対する「自民党を支持して、軍国主義に手を貸すのか!」という批判は、全く以て正当である。

 前原氏はそれについて「ご顕齋のとき、住吉大神のご神体として、〝剣〟が奉斎されることを聞いて、それは軍国主義ではないかという、攻撃的な批判をなした人があった」と述べているが、神社の御神体を「剣」にすることと、現実に自民党の行っている軍国主義的政策とは、全く次元の異なるものである。

 仮に「神社の御神体が剣であることが許されるのであるから、アメリカの侵略戦争に協力する自民党を支持することも許されるのだ!」等と言う者がいたら、精神状態が正常かを疑われるであろう。

 私にはどうしてこのような学ぶ会乃至日本会議の詭弁に騙される人が出てくるのか、疑問で仕方がない。

 「どうして自民党を支持するのだ!軍国主義では無いのか!」と言われて「谷口雅春先生は神社の御神体が剣でも良いと言っていた!」と反論されても、「いや、全然違う話をされても・・・」となるのが、通常であろう。

  今の政治を見ると、谷口雅春先生の次の言葉を意識しなければならないと思う。

 「日本を愛する」と云うことを「外国を排撃すること」の別名の如く考えている偏狭な人がありますが、実相の日本は「世界国家」(水火の国・陰陽和合・大和理念の国)でありますから、それが現象化してあらわれて来るときは「一つの世界」(世界連邦の形態をとるか?)となるのでありまして、外国を排斥しているようなことでは「水火の国」「大和の国」「一つの世界」は成就しませぬ。其処に生長の家は「国粋的な神」を説かず、普遍的な神を説き、すべての人類を神の子として互に手をつながせる大使命をもっている万教帰一の宗教なのであります。

谷口雅春『明窓浄机 戦後篇』236頁)

 今の自民党政権は、金が絡むと中国やロシアとも組む一方、外国を排斥するヘイトスピーチを野放しにするどころか、むしろそれを煽っている気配すらあるのである。

 少なくとも、自民党の支持母体である学ぶ会は、ヘイトスピーチを行っている竹田恒泰氏を講師に講演会を開催しているのである。このようなことが谷口雅春先生の御心に反すること、言うまでもない。

 神社の御神体を剣にすることは信教の自由の範囲内であるが、世界平和を願われた谷口雅春先生の名前を騙りながらヘイトスピーチをしている竹田恒泰氏の講演会を開催することは詐欺行為、僭称行為であり、我が国に「信教の自由」はあっても「僭称の自由」は無いのである。

 

 

 

名前の欄のスペースが

 今の私はトキ掲示板には投稿していないから、誰かが代わりに指摘してほしいのだが、 一考の御参考になれば良いと、紹介します。さんは自分の名前の欄にHNを入力した後、さらにあとに続けて「                           

                                         

                                        

           」と、かなりながい(スペース欄では長さが判りにくいから、アンダーラインで示した)空欄を入力しているからである。

 恐らく、HN入力の際のミスなのだろう。気を付けていただきたいと思う。

 それにしても、相変わらずの「誰でも日野」に飽きない人もいるようで。

おいおいマジかよ・・・

 最初に独り言を。

 石田圭介という方がおられる。私はこの方の著書を読んだことは無いが、聞くところによると、例えば津田左右吉天皇陛下を崇敬していたこととかを肯定的に取り上げる本を書いたりしていたそうなので、ちょっと面白い視点の方である、そのような方の本を一度読んでみたいものだ、と思っていたのであった。

 さて。

 「谷口雅春先生に帰りましょう」なる掲示板がある。もっとも、この掲示板は「教団が『大日本帝国憲法』の復原・改正を言わなくなったら、谷口雅春先生の時代に帰って『大日本帝国憲法』の復原・改正を実現させてやる!」というような掲示板では無く、様々な詭弁を弄して安倍晋三元首相と岸田文雄首相に中心帰一!日本会議断固支持!」掲示板であって、明確に『大日本帝国憲法』の復原・改正を否定しており、さらには、管理人からルソーだのシンデレラだの一般意志だのの話を聞かされる・・・と思いきや、その記事は削除されていた。

  その管理人の思想が本当の保守主義モンテスキュー流の古典的保守主義)かは疑問があるが、それ以上に、安倍晋三元首相のような保守の仮面を被った左翼のスパイの可能性の方が重要である。

 さて、この管理人が誰かは不明であったが、学ぶ会の会員であっても幹部ではない、ということがこれまでのやり取りから判っていた。

 そのような中、こんな文章が出現した。

管理人は今までに本(単著)を四冊上梓して、その一冊は日本教文社の出版です。

また、専門の分野(人文系。憲法学ではありません)では都の西北にある私立大学の反日左翼の有名な教授の名前と文章を単著の中で取り上げて、

その教授への批判と自分の考えを明示した上で、その都の西北の大学の教授と大学図書館にその単著を郵送したことがあります(反論はいただけませんでした)

管理人のその専門分野は99%がリベラルor左翼の研究者なのですが、その学会の専門誌(岩波書店発行)の「研究史」が管理人の主張を「最新の研究動向」の中で取り上げて、

戦後の研究は、(千九百)五十年代までの研究に見られた天皇主義~をいかに克服するかを一つの重要な課題としてきたが、(千九百)九十年代に入って、逆に(管理人から)さらにラディカルな天皇主義~が提示されたということになるだろう。

こうした研究史を踏まえて、これから(この研究)に着手しようという人によって、今後、どのような~が描かれるのか、非常に興味深いところである。(カッコ内は引用者。波線部の本文は省略)


と、(おそらく気に食わないのだろうけれども)管理人の論文を評価していただいたこともあります。この文章が「研究史」の最後の部分なのです。

bbs6.sekkaku.net 

archive.md

  こここで「単著」を四冊も出している、ということで、一気に管理人が誰であるのか、が絞られるようになった。

 こういう時、身バレを防ぐためには「編著や共著も含めますと・・・」と言えば、個人の特定はほぼ無理である。ある研究者の編著や共著も含めた正確な著作数など、最近はCiNiiで大分簡単にはなったものの、調査はかなり難しい。

 ところが「単著」が四冊、ときた。その内、少なくとも一冊は人文系の専門であり、恐らくは国文学かその周辺である。

 そして、一冊だけ、日本教文社から本を出している。その一冊は、編著や共著では、無い。

 日本教文社から本を出した人は絶版書も含めると多数いるが、その中で存命の方となると限られる。さらに国文学かその周辺の分野で専門書を出している方となると、さらに絞られる。

 そして、単著の数が合計四冊、である。

 編著や共著は除外して数えるのは容易ではないが、少なくとも単著は国会図書館に著者名とリンク付けて掲載されているので、そこから編著や共著と判ったものを除外して四冊だけ残る方を探せばよい。

 ・・・管理人が誰か、判ってしまったかもしれない。

 ・・・マジかよ、そんなオチ、ありかよ。

国際平和信仰運動と尊皇は矛盾しない

 12月18日、教区青年会の会議で拙稿『令和4年度生長の家兵庫教区青年会の運動についての提言』(以下『提言』)を配布させていただきた。許可をしてくださった木村委員長にはこの場を借りて改めて感謝申し上げます。

 『提言』の内容は組織の体制に関するものが主であるが、一部、教学についても書かせていただいた。

 ご存知の通り生長の家は国際平和信仰運動を掲げ、国際平和を乱す安倍政権への不支持を表明した。これを「左傾化」と評価するものがおり、挙句の果てには「今の生長の家は反天皇だ」というようなデマまで広まっている。

 この種のデマは日本会議関係者が出した政治的謀略宣伝ではあるものの、私たちも自分たちの立場をきちんと伝える必要があるだろう。

 『日本国憲法』第9条の改正に反対することが、どうして「反天皇」になるのか、私には皆目理解できないが、彼らは印象操作に長けているから、理屈ではなく事実で反証を示した方が良い。

 何度も触れているが、『生長の家信徒行持要目』についての教団の解説にはこうある。

    • 天地一切のものに感謝すべし。

    天皇の恩、国の恩に感謝しなさい。あなたの父母に感謝しなさい。あなたの夫又は妻に感謝しなさい。あなたの子に感謝しなさい。あなたを支え、手伝ってくれる多くの人々に感謝しなさい。天地のすべてのものに感謝しなさい。

    (『“新しい文明”を築こう』上巻69頁)

 これを読んで「左翼宗教」に見える者がいたら、是非とも教えてほしい。

 国際平和信仰運動が天皇陛下崇敬と矛盾しないことについては、私も『提言』に書かせていただいたので、一部抜粋する。

 生長の家の公式サイトには国際平和信仰運動について「唯一絶対の神への信仰によって世界の平和をめざす」運動であると記されています。

 世間では「多神教優位論」と言って、日本は多神教の国であり一神教の国のように唯一絶対神を信じはしないのだ、みたいな説を唱える者もいますが、このような多神教一神教とを別けるのは万教帰一の真理に反する説であって、生長の家ではそのようには説きません。谷口雅春先生は次のように説かれており、いわゆる多神教優位論的な解釈を否定されています。

 平田篤胤式に神というのは、不思議なる働きをするものは、何もみな神であるというので白狐みたいな獣類でも、蛇のような爬虫類でも皆神であるとして日本人はそれらの動物を神さまとして祭っているのだといような考え方で神さまを想像して、「人間は神の子である」と教えられたのでは、“神の子”というのは爬虫類や獣の子と同類に格下げされたことになると私は思うのであります。

 それですから、この種の神観で、天皇を神として尊敬するという事もそれに類して、白狐や白蛇大明神と同様に尊敬するということに成りかねないのです。それと違って私が天皇陛下を尊敬するのは、天照大御神の御いのちの現れとして尊敬するということであります。

谷口雅春『国のいのち 人のいのち』18頁)

 従って、国際平和信仰運動の基盤となるべきは、谷口雅春先生の次のような神観、天皇観です。

 各民族、各宗派、みんな勝手に、別々の神観を説き、“日本で神というのは、こういう神”で、“キリスト教で説くのはこんな神だ”といようなことを言って神々を別々の存在のように説いておったのでは駄目で、本当に万教は唯一つの真理に帰一するという事も成り立たないし、「宇宙一切の存在の中心が一つである、共通である」ということが成り立たなかったら、本当に人類は一つ、世界平和という事も又、成り立たないという事になる訳なんであります。そういう訳で、私はどこどこまでも偏一切所の毘盧遮那如来大日如来)が、同時に金波羅華の世界の中心座にまします、それが実相宇宙「蓮華蔵世界海」の真実でその大日如来天照大御神であらせられ、その人格的顕現が天皇にましますと説くのであります。

(同書32頁)

 谷口雅宣先生が国際平和信仰運動についてお説きになった著書『信仰による平和への道』においても次のように記されています。

天皇国・日本」と聞きますと、短絡的に考えて、天皇陛下が国政の最終段階でいろいろなことを行う権限を持つことだ、と思いがちの人もいらっしゃるかもしれませんが、ここにはそのようには書いてありません。そうではなく、政教分離も、信教の自由も認めた上で、「政治家のみならず、学者も、企業家も、芸術家も、全ての人々が何らかの形で正しい信仰を持つようにならなければならない。その傾向が全国的に拡がって行ってはじめて神の国に近づいた国家が現実のものとなり、そこには当然中心帰一の姿が各所に具体化して来るものである」というわけです。

 ここには、どうやって神の国に近づいた国家をつくるかという方法論が書いてあるのです。つまり「天皇国・日本」というのは、天皇のご生活――これは、我々はいろいろな所で教わっていますが――神意を第一として物事を行っていかれるという天皇の生き方、神意が中心になる生き方が、我々個人のレベルにもどんどん弘まっていくことによって、それが民主主義の国だったら、結果として、そういう神意を重んじる政治家が多く選ばれるようになるであろうし、そういう経済活動が行われるであろうし、そういう学問が研究されていくであろう。そして、神の国に近づいた国家が現実のものとなる――こういう文脈の中で「天皇国・日本」は説かれているのです。

(谷口雅宣『信仰による平和への道』210頁)

 生長の家青年会の活動が国際平和信仰運動である以上、当然このようなことを会員が学んでおく必要があるのです。

 そもそも、天皇陛下は国際平和を望んでおられるのであるから、天皇崇敬と国際平和信仰運動に矛盾の生じるはずがない。

 『日本国憲法』第9条を改正してアメリカの侵略戦争に協力することの、一体どこが「天皇国・日本」なのか、そのようなものは「侵略国・日本」であって、そんな東夷の黄色い猿の集団は本当の日本ではないのである。

 天皇陛下を侵略の象徴とするのはかつては反天皇の左翼による宣伝であったが、今では自称保守が(まぁ、彼らは左翼のスパイなのだろうが)同じことをしているのは、甚だ哀しいことである。

 

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吾々の内に既に「善」が宿っている

 この世界は善一元の神の世界であると、生長の家では教えている。神の世界、本来の世界には、悪など存在しないのである。

 悪い現象が物質界に表れているが、それは本来ナイものが表れているのであって、不自然なことであると、考える。

 谷口雅春先生はこう説かれている。

 自然に神の摂理に従順にまかせて動いておれば、善いことばかり、幸福ばかりが実現すると云うのは、神が本来「善」であるからである。神が何故「善」であるかと云うことがわかるかと云う人があるが、吾々は「最高の善なるもの」を神と名称づけるのであるから、神が何故善であるか――の疑問の存在の余地はない。そして吾々は「善」なるものを求めずにはいられない――それは事実であり、何故吾々が心に「善」を思い浮かべ、それを追及せずにはいられないかと云うと、吾々の内に既に「善」が宿っているからなのである。

「善」が吾々のうちに宿っておらず、全然内的に体験したことがないとしたならば、「善」の何物たるかを吾々は知らず、そを思い浮かべることもなく、それを追及することもない筈である。だから、「善」は自己の内に既にあるのである。イエスは「神の国汝らの内にあり」と云い給うたが、その内在の「善」こそ「神」であり、その内在の善なる世界こそ「神の国」であり――既にあるのである。外在の不完全な国は、内在の神の国の不完全なる顕現に過ぎない。だから、内在の神の国は、外在の世界に、それを押し出そうと云う「内からなる衝動」を起こさずにはいられない。それが吾らの「善と幸福に対する希求」として現れて来るのである。「善と幸福に対する希求」が必然的に吾々に起こるのは、既に内在の世界に神があり、善と福との世界が成就しているからである。

谷口雅春『善と福との実現』19~20頁)

 私たちは皆、善なるものを表現したいという欲求を持っている。その欲求をお互いに尊重しあうと良い世の中になる。

 政治においても、自己内在の神の国を表現したいという、国民のまことなる願いを実現させることが大切である。

 

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