多元的古代史観
人気ブログランキングへ 「邪馬台国畿内説」が成り立たない理由について、最近のマスコミの報道で勘違いされている人もいますから、改めて説明します。 まず、『魏志』「倭人伝」では帯方郡(朝鮮半島北部)から邪馬壱国まで「1万2千里」とあります。 これを…
人気ブログランキングへ 今の日本の歴史学界の定説で、一番のトンデモ説は「雄略天皇=倭王武=獲加多支鹵大王」説である。 なんというか、これは文献史学上の「雄略天皇=倭王武」説と考古学上の「雄略天皇=獲加多支鹵大王」説をチャンポンにした結果、矛…
人気ブログランキングへ 3世紀の倭国がどういう感じだったのか、地図にしてみました。 色分けの意味は赤・橙=邪馬壱国派・親魏派 青・水色=狗奴国派・反魏派 緑・黄緑=中立派と、言う感じになります。 『魏志』「倭人伝」から、弥生時代の倭国には次の5…
人気ブログランキングへ 文献史学の解釈も考古学との整合性が取れることが必要、とよく言われるけれど、私は考古学については全くの素人。 ただ、素人でも取り組めるのが歴史学の良い点ではあるので、色々と歴史関係の本を読んでみたのだが、どうにも解せな…
人気ブログランキングへ 最近は信じられないニュースが多すぎる。 古代史に関しても同様で、次のようなニュースが入った。<塚前古墳>全長120m 後期東北最大か 2017年05月11日 河北新報 福島大行政政策学類の考古学研究室は10日、福島県いわき市小名浜の…
人気ブログランキングへ 高良大神が伊賀にも祀られている――この情報を聴いて、私は仰天した。 高良玉垂命は主に九州で祀られている。特に筑後一帯には高良大社や大善寺玉垂宮を始め、高良大神ゆかりの神社が多い。 もっとも、最近、古田史学の会の古賀達也代…
人気ブログランキングへ ヤマトタケルは、クマソタケル暗殺の後、今度は出雲に行っています。 私は、まだ少年だったヤマトタケルは出雲で成人した可能性が高いと思っています。いずれにせよ、出雲でのヤマトタケルは大人っぽく描かれています。 さて、『古事…
人気ブログランキングへ さて、これまで私が『古事記』の表記である「倭建命」ではなく「ヤマトタケル」とカタカナで表記したのには、理由があります。 私は、『古事記』における「倭建命」のすべてが、小碓、いわゆるヤマトタケルではない、と考えているか…
人気ブログランキングへ ヤマトタケルがクマソタケルを暗殺する直前、邪馬壱国は狗奴国と戦っていました。そして、卑弥呼が亡くなった後に即位したクマソタケルが狗奴国と和平を行ったと考えられるわけですが、その狗奴国は果たしてどこにあったのでしょうか…
人気ブログランキングへ 247年、倭国で内戦が勃発します。 邪馬台(壱)国と狗奴国の争いです。 魏は張政を倭国に派遣します。ところが、そうした中で事件は置きます。 卑弥呼が亡くなったのです。この時、何が起きたのでしょうか? 卑弥呼については、「暗…
人気ブログランキングへ 私が前回のブログでヤマトタケルによるクマソタケル暗殺説話を紹介しましたが、私がそれを後世の造作としなかったのは、この話自体は天皇家にとって有利ではないどころか、逆に不利な話だからです。 この「クマソタケル暗殺説話」を…
人気ブログランキングへ 読者の中にもヤマトタケル説話を知らない人がいるかもしれないので、今回はヤマトタケル説話の内容のあらすじを紹介しつつ、ヤマトタケルによるクマソタケル暗殺事件について考察します。 さて、『古事記』によるとヤマトタケル説話…
人気ブログランキングへ 前回までの結論をまとめると、仲哀天皇の没後に大和王朝の大王に即位したのは宇治天皇(=忍熊王)であるということ、応神天皇の父親はホムヤワケであり応神天皇は仲哀天皇の孫であること、そして、仲哀天皇の崩御した年は302年であ…
人気ブログランキングへ 『古事記』の仲哀天皇の記述を見ていると、不審な点があります。 『古事記』によると仲哀天皇の宮殿は「穴門の豊浦宮」(下関市)と「筑紫の訶志比(香椎)宮」(福岡市)です。いずれも九州王朝の勢力範囲内です。 つまり、仲哀天皇…
人気ブログランキングへ 私が生長の家宇治別格本山の研修生を卒業する日、研修生の先輩二人と仁徳天皇の弟である宇治(菟道)稚太郎子のお墓のある朝日山に卒業記念に出かけました。 緑の綺麗なこの山で聖歌を読んだりしました。とても澄み切った空気で気持…
人気ブログランキングへ 「八幡神」として各地の神社に祀られている応神天皇。 『古事記』によると、父親は仲哀天皇、祖父はヤマトタケルです。母親は三韓征伐で有名な神功皇后で、応神天皇と神功皇后は一緒に八幡神社に祀られることも良くあります。 ところ…
人気ブログランキングへ 九州王朝説論者の間では常識になっている話も、一般の読者には「トンデモ説」に見えてしまう話もあるので、今日は倭の五王が定説でいうような大和の大王ではなく、九州王朝の大王であるという話をします。 現在、歴史教科書では「倭…