生長の家正統派青年のブログ

生長の家西播青年会委員長のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

「天使」というのも「神」なのである

 現在、このブログの読者は減ってきている。私の記事の読者の多くは私のnoteに移行しているのである。

 noteについては毎月数万人単位の読者がいるが、このブログは毎月千人前後である。読者数の桁が些か異なるのである。

 そのため、今でも熱心にこのブログを読まれている方と言うのは、だいたい層が限られるわけで、そう言う方は私が生長の家の信者であることを御存知の方も少なくないと思うので、生長の家のやや踏み込んだ話を書こうと思い、当初は「谷口雅宣先生は無辺行菩薩である」というテーマを記そうと考えていた。

 だが、生長の家の信者であってもついていけないようなことを記すと、色々誤解を招きそうなのである。何事も順序を追って説明しなければならない。

 私は先祖供養にも基本『観世音菩薩讃歌』を読誦するようにしているが、この『観世音菩薩讃歌』の功徳はとても素晴らしいものがある。

 先祖供養は勿論、人間関係、恋愛、精神安定等々、様々なことに功徳があるのは私が経験済みである。

 その『観世音菩薩讃歌』を記したのが谷口雅宣先生であるが、『観世音菩薩讃歌』の内容は「天使」が述べたことになっている。

 これは谷口雅春先生が記した『甘露の法雨』や『天使の言葉』と同じなのである。

 さて、『天使の言葉』には次の一節がある。

吾れは喇叭なり。

汝らよ――

吾れ個神を善しと云う事勿れ。

形に現れたる神を讃むること勿れ。

吾に宿る善きものは皆普遍なる神より来る。

汝ら吾が示すところの神を崇めよ。

吾れを崇めよと云うには非ず。

吾れはただ天使なり、

吾れみずからの本性の神なることを観たれば、

吾れ汝らの本性の神なることを悟らしめん。

 ここで「個神」という言葉が出てくる。そして、ここでいう「吾れ」は「個神」であり、且つ「天使」である。

 このことから、ここで言う「個神」はキリスト教イスラム教でいうような「唯一絶対神」(創造神)ではなく、仏教でいう「天部」に当たる存在であることが判る。

 このことは、谷口雅春先生ご本人による解説でも次のように記されている。

 キリスト教では、神は唯一つしか在さない。唯一つの神の他にいろいろの神が在すというのはまちがいである、と言います。それで日本の各所に神社、仏閣があり、そこに神仏を祀って神様、仏様と言って拝んでいる様を見て、「あれは迷信だ、そんなにたくさん神があるなんてことがあるものか、あれは偶像崇拝だ」といって非難攻撃する牧師がよくありますが彼らは思い違いをしているのであって、日本の各所の神社仏閣に祀ってあるところの神々は、何もキリスト教で言うところの唯一神ではない、唯一神からいろいろに分かれて出て来られる、キリスト教的に言えばミカエルとか、ケルビムとかあるいはガブリエルとかいう、天使を祀ってあるわけなのです。(『生命の実相』第23巻89頁)

 『甘露の法雨』『天使の言葉』を表すとき、谷口雅春先生は「個神」として、「天使」として、この聖経を書いたのである。しかも、ただ「個神」として書いたのではなく、その「個神」としての「個」たる「吾れ」はあくまで「喇叭なり」として、「無我」の境涯で書かれたのである。

 そのことを、榎本恵吾先生は次のように記されている。

 聖経『甘露の法雨』は、天使(てんのつかい)が歌い給い、語り給うたとなっており、また大聖師は、自分は神のラッパであって、吹き給い、語り給い、書き給うのは神にまします、と言っておられるのである。それは、そのように天使(てんのつかい)または神の名をかりて歌い語った方が、自分に責任はなく、その方が権威があるからとかということでは決してないのである。まことにもそれは大聖師の消え切りの、澄み切りの極致においてのおすがたであったのである。

 著書も消え切りであり、著者自身が消え切り、全くのゼロであるとき、神のみ渾べての渾べてであり給いて、書物は神殿どころか、神そのものにましますのである。著者もまた聖の聖なる、至上なる神にましますのであった。

 それを拝するとき、拝読するものもまた、自分は最早やなく、消え切りであり、著者が消え切り、書物が消え切り、読者が消え切りの、神のみすべてのすべてなる荘厳となっているのであった。(榎本恵吾「幽斎殿Ⅴ」

 この榎本恵吾先生の言葉に接するとき、『観世音菩薩讃歌』の主語がなぜ『甘露の法雨』や『天使の言葉』と同じ「天使」なのか、が明徴となるのである。

 谷口雅宣先生もまた「消え切りの、澄み切りの極致において」『観世音菩薩讃歌』や『大自然讃歌』『日々の祈り』を著されたのである。