生長の家正統派青年のブログ

生長の家青年会一信徒の個人のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

他人の能力不足を非難するのは如何なものか――――tapir様への回答(3)

 tapir様が掲示板で私のことを「某氏」として名指しにするのを慎重に避けつつコメントして下さっています。

 ただ、御教えの先達に対して誠に失礼ではありますが、tapir様の次の一文にはタイトルの言葉をお返ししたいと思いました。

全般的に言えば、「起死回生策(私案)七箇条」は、「生長の家教団」即ち「生長の家本部」に取っていただきたい方策という意味で、信徒個人の事ではなかったのですが、某氏は個人の事と捉えられたところがあり、そこに誤解が生じた点があると思いました。

 私は個人のこととして捉えた覚えは無いのですが、tapir様こそ個人の能力不足を論っているように見える文章があるからです。それは、これです。

2、日本語のレベルが、谷口雅春先生の聖経と差が有りすぎます。(谷口雅春先生の聖経を100点とすれば、ひいき目に見ても50点くらいです。)

①発表当初読ませていただいたものは、日本語の古文文法がでたらめであり、分かりにくい箇所だらけで、読むだけで疲労困憊しました。

②その後、信徒のご好意により古文文法は手直しがされましたが、依然として添削したい部分が多々あります。(虚空→大空、風花→はなびらなど)

 私は総裁先生の文章力が悪いようには思わないのですが、仮にtapir様に劣る文章力であるとしても、「文章力の無い方のお経だから、聖経よりも劣る」みたいな評価は如何なものか、と思います。

 tapir様が慕われるトキさんについても、本部の教勢低下をよく批判されていますが、谷口雅春先生のような文章力、或いは組織拡大力というのは、それこそ千年に一度の存在自体が奇跡な聖人だからこそ出来ることです。

 また、雅春先生の没後の信徒は質が落ちていたのも事実です。安倍信者と化した自称信徒を見るとそれは明白でしょう。そう言う方が出て行ったことはむしろ有難いことです。

 話を戻しますと、総裁先生の文章力が仮に劣るとしても、生長の家の大神の指導を受けて『観世音菩薩讃歌』を執筆されたことには、変わりありません。そういう意味で、私は国語学の方については無知で、古典よりも漢文の方が特異なぐらいの人間なので、文語体の文章としての評価はtapir様が仰られる通りなのかもしれませんが、霊的な意味合いは『甘露の法雨』と寸分たがわぬものであることを信じるのです。

 また、tapir様は次のように言われます。

なお、人は果実を見て判断します。『観世音菩薩讃歌』に救われたという某氏が、掲示板管理人の「「トキさん」に向けた文章は率直なところ、社会人としてどうなのかと思います。 内容以前に言葉遣いに問題があります。生長の家の、社会人の先輩であり、その掲示板を発表の場として使用させてもらったことを思えば、もう少し物の言いようがあるのではないでしょうか。

 ここでもtapir様は私の言い方と言う個人的な欠点乃至能力不足を批判されていますが、それは私が目下の人間ですから、何ら問題ありません。(言い換えると、tapir様よりも真理の面では目上の存在である総裁先生に同じような言い方乃至文章力に関する批判をするのは、それこそ「内容以前」の問題です。もっとも、tapir様が自分が総裁先生よりも上であると思われるならば、それはそれで個人の信教の自由の範囲内でしょうが。)

 ただ、私はトキさんを「社会人の先輩」としては見ていても「生長の家の先輩」とは、見ていません。

 私の令和二年五月二十六日付記事 今さら何を言っているのかにも書きましたが、トキさんが「日野が密告をした」という事実に反することを述べているのは明白です。(一体、私が「誰に、何を、どういう手段で」密告したというのでしょうか?)

 また、そういう個人的なことを抜きにしても、総裁先生の政治的な発言を「開祖と正反対」と述べたり(これは事実に反することであり、御教えの先輩であるならば私よりも真理には詳しいはずですから、このことは一々説明する必要は無いでしょう。もしも本気で自民党不支持が谷口雅春先生の御教えに反すると思っているならば、御教えの先輩ではありません。)、教区職員の待遇が本部職員よりも低いという、御教えとは何ら関係の無い「職場への不満」を匿名で書き込むような方を「生長の家の先輩」として認めるなど、できようはずがありません。

 職場の待遇への不満など、どの職種の人も持っていると思いますが、一々そのような不満に耳を傾けろ、とトキさんが言うのは全く意味不明です。サービス残業をさせているわけでもないのに。

 私の知る「生長の家の先輩」には、生長の家の職員もいますし、一般企業の方もいますが、そういう職場の待遇への不満をいう人など、一人もいません。客観的にみて大変な環境にいる方もおられますし、教団内部で明らかに冷遇されている職員もいますが、アルコールが入っていても職場への不満は言わない、それが私の知る「生長の家の先輩」であり、私もそう言う社会人を目指したいと考えています。

 荒れやすい掲示板の上で極力中立を保つトキさんの運営手腕は素晴らしいと思いますが、「生長の家の先輩」としての評価は別問題です。

 例えば、立場は違いますが山ちゃん1952さんは総裁先生を批判はされているものの、一応「生長の家の先輩」だと思います。山ちゃんさんがトキさんみたいに「自分の職場の待遇」或いは「他人(教団)の職場の待遇」の問題をブログに書かれているのは、未だかつて見たことがありません。

 以上を前段として、その他のことについて答えさせていただきます。

某氏所属の教化部で「浄心行」で使用して、効果があるというなら、使用は教化部の裁量に任されて自由でよいと思います。結果のプラスもマイナスも教区が責任を負うべきものだと考えます。

 この言葉で、tapir様が批判された「讃歌の浄心行への利用」が事実上争点ではなくなりましたので、私がこの問題でこれ以上tapir様に反論する必要性は無いとは思いますが、一応、次の点だけは指摘します。

 『観世音菩薩讃歌』が『甘露の法雨』に劣るというのは、tapir様の主観にしか過ぎません。

 水掛け論になるのでこの程度にして置きますが、私に恋人が出来たことはイエス・キリストが湖の上を歩いたというのと同じレベルの奇跡ですから、当然、供養祭等にも効果があるはずです。

某氏は、私の文章を読み違えていると思います。

「個人」で対社会的運動に取り組むなとは、一言も言っていません。

 失礼ながら、読み間違えているのはtapir様の方です。私は、社会運動こそ組織で取り組む必要があると考えているからです。

過去において、生長の家は「政治運動」に積極的に取り組んだ時期がありました。昭和41年頃から、昭和54年ごろまでの事です。その時期、日本はまだ戦後の混乱の痕跡が残っており、「赤色革命(共産主義革命)」の危機にさらされていました。

いわば、日本国全体が大火事を起こしていたようなものです。消火は、プロの消防隊だけでは間に合わない、一般人も協力しなければならない、その「一般人の協力」が、谷口雅春先生の先導された「政治運動」だったと思います。

昭和53年の生長の家龍宮住吉本宮の御顕祭によって、霊的に「赤き龍」は封印され、昭和54年の「元号法制化」によって、日本人の社会意識の中において、天皇陛下、ご皇室が大切であることが再認識されて、「共産主義革命」の危機は去りました。

 この認識には驚きました。谷口雅春先生の政治活動、社会運動は決して「共産主義革命、防止」のためだけに組織を動かしたわけでは、無いからです。

 共産主義革命防止のためだけならば、どうして『大日本帝国憲法』の復原・改正や『優生保護法』廃止が必要だったのでしょうか?

 谷口雅春先生は「天皇国・日本」の実相顕現のために帝国憲法の復原・改正を掲げられ、また、「天皇国・日本」とは要するに「宇宙の大生命の地上への顕現」ですから、そのためには「優生思想」「堕胎推奨」と言った“生命軽視”という大火事をこそ、消火する必要がありました。

 谷口雅春先生が生長の家政治連合を結成した直接の理由は、共産主義革命防止ではなく(反共の言論活動は戦前からしていた)優生保護法』廃止にあったこと、また、生政連活動停止の理由もその活動では『優生保護法』廃止が実現できなかったことがあげれていること、それは客観的事実です。

 それで、教団としては形を変えて「生命軽視」の社会から「生命尊重」の社会へと転換するために運動をしているわけで、今の安倍政権のような空前の「生命軽視・朝敵売国」政権が誕生した今となっては、それに相応しい対応をしなければならないことは、明白です。

 繰り返しますが、生長の家政治連合の活動は、『優生保護法』廃止という目標に効果的でなかったからこそ(むしろ弊害の方が目立ったからこそ)、停止となったのです。

 一方、環境問題での活動はどうでしょうか?私は、着実に効果を上げていると思います。生長の家の今の活動は、確実に環境問題解決に貢献しています。

さて、それでは「環境問題」は、果たして、その時の「大火事」に匹敵する、生長の家が全力を挙げて取り組むべき運動なのでしょうか。そうであれば、いつまで、その運動に取り組むつもりなのでしょうか。

 これについても、環境問題の活動は「生長の家でないといけなかった」事情があります。というのも、従来の環境問題での運動は殆ど左翼に則られており、純粋な環境問題の運動は殆ど無かったからです。

 「生命尊重」の観点から国際規模で環境問題に取り組んでいるのは、生長の家しかありません。国際環境NGOとして著名なグリーンピースは、堕胎推進派の団体であるとともに、極左勢力が入り込んでいます。もしも生長の家以外に「生命尊重」の観点から国際規模で環境問題に取り組んでいる団体があれば、教えてください。ありませんから。

 生長の家以外に存在しない、それは雅春先生が帝国憲法の復原・改正を言われたころに似ています。今でこそ帝国憲法の復原・改正を唱えている政治家は永田町でもちらほらいますが、昔は生政連関係者以外に帝国憲法の復原・改正を言われている国会議員はいませんでした。

 「生命尊重」の観点から環境問題に取り組んでいる団体が無いのも、同じレベルの危機だということです。

個々人がノーミートを目指すのも、某氏のようにビーガンを目指すのも、一向にかまいませんが、青年会の組織全体として、厳格にノーミートを実行せよというのは、結局、実態に合わせられない人々の間に、「偽善」を生むことになると思います。

 これはまさしく仰られる通りで、だからこそ、私はそう言う教団の「偽善」を批判しているのです。

 隠れて肉を食べるぐらいならば、最初から「ノーミート」など言わなければよいのです。

 なお、「ヴィーガン」を「ビーガン」と表記するのは一体、どういう意図なのでしょうか?ヴィーガニズム実践者に嫌がらせで「ビーガン」と敢えて表記する人がいるのは知っていますが、tapir様がその様な意図ではないことを信じたいです。

生長の家の特色を生かすなら、人類の心から「戦争」の原因となる「争い合う心」、「自己破壊の心」を消し去って、「戦闘行為」を減らすことの方が、遠回りに見えても、よほど「地球環境問題」の改善に寄与できるのではないかと思います。 

ライフスタイルの改善は、あくまでも付随的なものに思えます。悪いとは思いませんが、「人間神の子」の真理を伝えることが、もっと肝要だと思います。

 生長の家は言うまでもなく今でも「神の子・人間」の真理を伝えているわけで、その上での「ライフスタイルの改善」ですから、tapir様の言われていることがよく理解できません。

 「ノーミート」に代表される偽善のことを言っているのであるならば、tapir様自身が「谷口雅宣先生の説かれたこととも矛盾している 」と書かれている以上、それが総裁先生の責任ではないことは十分承知だと思います。

 もしも「神の子・人間」の真理が十分に伝わっていないと、tapir様が仰られているのだとしたら、それは「能力不足」への非難であるようにしか、私には見えません。

 私は『観世音菩薩讃歌』をインドでも伝道しましたが、そうやって徐々に「神の子・人間」の真理は『観世音菩薩讃歌』という無辺行菩薩の著された奇跡の聖経を通じて、確実に弘まっていくと私は信じる次第であります。

 それはtapir様がどういおうと私の信念です。私は日本でも講習会や青年会全国大会の推進に励まさせていただきますし、海外でも『観世音菩薩讃歌』の伝道をさせていただく所存です。