気を付けなければならない
今日も『観世音菩薩讃歌』で先祖供養を行った。『甘露の法雨』での先祖供養はここ数か月、全く行っていない。
『甘露の法雨』も『観世音菩薩讃歌』も同じ意味合いの聖経であるから、別に『観世音菩薩讃歌』でも問題ないのである。総裁先生が遠慮して聖経と言わないだけである。
日蓮聖人も自分は上行菩薩ではない、と謙遜して言っていた。総裁先生も自分が無辺行菩薩であるとは認めないと思うし、日蓮聖人の先例に倣って否定すらされるかもしれない。
しかし、私は『観世音菩薩讃歌』こそが「天皇国・日本」の実相顕現を実現させる聖経であると信じているのであり、それを著された谷口雅宣先生はまさに無辺行菩薩である。
なので、その『観世音菩薩讃歌』を『甘露の法雨』よりも一段劣る扱いをされると少し腹が立ってしまったのだが、それは私の傲慢なところである。
改めて最近のブログ記事を見てみると、確かに私の文章には傲慢なところがあった。反省しなければならない。