生長の家正統派青年のブログ

生長の家西播青年会委員長のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

『週刊新潮』は里中満智子さんの発言を曲解しているのでは?

 トキ掲示板でのtapirさんたちの投稿を見て「おや?」と思った。

bbs5.sekkaku.net

 そこに引用されていた『週刊新潮』七月一日号の記事である。

 そこでは、里中満智子さんの次の発言が紹介されている。

〈女性皇族が結婚なさってその夫も皇族となれば、権威を得る手段として女性皇族を利用する男性が出現しないとは限らない――という、いささか古めいた心配だが、長い歴史の中ではそのような不安は現実となりそうな事例もあった〉

 その「長い歴史の中」であった「不安」を『週刊新潮』は「道鏡事件」のことであると断定して、八木秀次氏のコメントを紹介する。

 だが、この『週刊新潮』の記者は里中満智子さんの作品を読んだことがあるのだろうか?里中満智子さんの代表作は『天上の虹』だが、そのシリーズにはまさに、称徳天皇道鏡の関係をテーマにした『女帝の手記』もある。

 「里中満智子 道鏡」で検索すると、直ぐにこの作品をヒットする。もしも里中満智子さんが本当に道鏡事件を語ったと思うのであれば、ジャーナリストならば検索して出てくるような事実は調べておくべきだろう。と言うのも、『女帝の手記』はまさに(私とは観点が違うが)「道鏡擁護論」の初期の作品だからだ。

 里中さんが言っているのは、むしろ皇族と藤原氏との婚姻のことを言っていると思うのだが、そもそも『週刊新潮』が里中さんのコメントの真意を本人には確認せずに、八木秀次氏や本郷和人氏にコメントさせているのは、異常である。週刊誌の常套手段なのかもしれないが、ジャーナリストならばまず、本人に取材をしてその結果を読者に伝えるべきでは無いのか。

 そもそも、里中満智子さんの発言の部分引用だと、里中さんが女性宮家反対派だとミスリードしかねないが、里中さんはこう言っているのである。

「皇族」が「生まれ」を条件とするなら、どなたと結婚なさろうと本来は一生皇族のまま。一般人と結婚し、はじめて苗字をもっても本人の出自は「内親王」「女王」なのでそのまま名乗っても不自然ではないが。法律上問題があるなら「皇女」がよろしいかと。

 これは、本来、女王や内親王は結婚しても皇籍を失わなかった古代や中世の歴史を背景に言われているのであろう。また、こうも言われている。

男系男子が一人も存在しなくなった場合を考えて、いろんなケースごとに準備をしておくことが望まれる。もし仮に「女系天皇しか選択肢がない」ような状況になれば、女系天皇、新しい王朝という事態も受け入れることも考えておく必要がある。

 もっとも、里中さんは旧宮家復活に賛成のようであるが、男系の皇統維持と旧宮家復活とが結びついているようである。

 男系の皇統を維持すると言うのは、神武天皇の男系子孫が天皇に即位するということであり、そして神武天皇の男系子孫は沢山いる。

 仮に、神武天皇の男系子孫の一人と内親王殿下が結婚された場合、その子供は神武天皇の男系子孫であると同時に、親等も旧宮家以上に今上陛下に近くなる。このように、男系の皇統を維持することは必ずしも旧宮家復活を意味はしない。

 こういうと「男系での親等は~」とか言ってくる人が出てくるかもしれないから、念のために言っておくと、旧宮家は男系の親等で見ると一部の華族よりも今上陛下から遠い血縁なのである。

 旧宮家復活論者は、男系の皇統を維持するといつも言っているが、それが本音なのかは多いと怪しいと、私は睨んでいる。

 根拠は二つある。

 一つ目は、小室圭さんへのバッシングだ。脚フェチ侯爵も小室さんへのバッシングに参加していたが、本当に男系の皇統を守りたい、女性宮家を潰したいと言うのであれば、これはおかしくないか?

 何しろ、もしも眞子内親王殿下が小室さんと結婚して臣籍降下すると、佳子内親王殿下と愛子内親王殿下だけに女性宮家を認めるのは困難になるから、女性宮家設立の可能性は著しく低下する。ところが、この男系派にとっての大チャンスを、脚フェチ侯爵ら旧宮家復活論者は妨害した。

 その結果、今でも眞子内親王殿下は皇籍にとどまっている。眞子内親王殿下が皇籍にいる間が長引けば長引くほど、女性宮家設立の為の猶予が生まれて男系派は不利になる。

 しかも、現役皇族の彼氏を悪く言えば言うほど皇室にダメージが生まれる。脚フェチ侯爵の父親の贈賄容疑も皇室へかなりのダメージを与えたが、彼は三男だから戦前の基準でも臣籍降下していたのに対し、眞子内親王殿下は今上陛下の姪であり、悠仁親王殿下の御姉様である。

 二つ目は、脚フェチ侯爵が繰り返し述べている「宮家が4つから5つあれば側室が無くとも皇統は守られる」と言う発言だ。

 これは、自分自身が二股交際しておきながら、皇族の側室を許さない男が、側室が無くても男系の皇統は守られるという根拠として言っているのであるが、少しでも政治的センスがあればこの言葉の「裏」を読むのは当然。

 彼の発言は、仮に旧宮家の数が3つ以下であれば「側室抜きの旧宮家復活では、皇統は断絶しますよ」と言う意味になる。

 さて、皆様、旧宮家の数を数えてください。男系男子の旧宮家が5つもありますか?

 そう思ってみてみると、さぁ大変。旧宮家の内、嫡流で男系男子が残っている家は、4つしかない。しかも、その男系男子が婚姻適齢期を過ぎても独身であったり子供がいなかったりする家もある。

 そうなると、次世代においては旧宮家の数が3つ以下になることは、確実。

 「いや、嫡流以外であれば!分家の皆様も皇籍に戻ればいい!」と言う皆様、脚フェチ侯爵を始め、分家の皆様は現に皇籍復帰しないと明言しておられます。

 つまり、旧宮家復活論者の皆様は「4つから5つ宮家があれば側室が無くても大丈夫(3つ以下だと大丈夫じゃない)」「3つ以下の旧宮家を復活させ側室を認めない」と言っていることになる。

 それは要するに、男系の皇統は維持できないと言うことである。

 私が脚フェチ侯爵を左翼だと言っている理由は様々あるが、その根本的な理由がここにある。

 旧宮家復活論者は、意図的に皇統断絶を狙っているとしか思えない。

 左翼のスパイが戦前から保守界隈に工作をしてきたことはご存知の方も多いとは思う。例えば、近衛文麿内閣を支持した右翼も多かったが、その中にはチャッカリ共産主義者が幹部で居座っていた。

 今回の件にも私は同じ匂いを感じるのである。

 ところで、tapirさんが私の道鏡に関する記事を紹介してくださっていたので、そのことについて触れさせていただきたい。

 私は里中満智子さんが道鏡再評価の先陣を切ったことは評価したいが、『女帝の手記』には色々と問題もあった。

 まず、作品評価として言わせていただくと、私がアセクシャルだから思うのかもしれないが、「恋愛=性行為」と言う前提があることが気持ち悪い。

 そもそも、若き日の孝謙天皇藤原仲麻呂に流された意思の弱い女性、みたいに描くのは大いに問題である。

 tapirさんも引用していた勝浦令子先生の研究でも明らかだが(私の『選報日本』の記事も勝浦先生の論文を元にしているが)、孝謙天皇はかなり意志の強い女性であり、10代の頃から熱心に仏教を信仰していたのである。それも、女性向けの経典である『勝曼経』等ではなく、鎮護国家の経典の写経をしていた。そのこと一つとっても里中さんの描いたものとはかなりイメージがことなる。

 さらに言うと、晩年の称徳天皇は剃髪していたはずである。まぁ、それは絵にするために髪の毛を伸ばしたままにしたのかもしれないし、その程度の改変は漫画だと許されるのかもしれないが。

 里中さんの歴史学の知識自体は、あながちズレてはいないと思う。

 例えば、中臣習宜阿曾麻呂によるニセ神託は道教を追い落とすための藤原氏の謀略であるという説、中臣習宜阿曾麻呂を中臣氏としたのは里中さんの無知故であるが、彼の行為が藤原氏の謀略であることを示唆する論文は昨年出版の『古代史論聚』にも掲載されていた。

 だから『女帝の手記』は漫画作品としては傑作であると思う。

 里中さんがどうして旧宮家復活論者に靡ているのかは理解し難いが、「保守ならば安倍政権を支持しないといけない」みたいな、謎の固定観念に捉われていないことを祈りたい。

 そう言えば、tapirさんの投稿に会った道鏡皇胤説、これは戦前の歴史学の権威である喜田貞吉先生も学術論文の形で触れられているから、決してトンデモ説ではない。

 ただ、私は道鏡が大臣の子孫と言う記録があるので、これは支持していない。

 この問題で、最近新たな発見もあった。

 従来、『養老律令』は藤原仲麻呂主導で施行されたとされていた。だが、これは孝謙天皇主導であると考えるべきである。

 藤原仲麻呂は『養老律令』施行以前に『墾田永年私財法』制定を主導している。そうである以上、もしも『養老律令』制定を藤原仲麻呂が主導したのであれば、その内容に『墾田永年私財法』の要素が入っていないとオカシイ。しかし、『養老律令』は『墾田永年私財法』における私有地の存在を前提としていない。

 対して、孝謙天皇称徳天皇として重祚した後、『墾田永年私財法』を停止している。つまり、『養老律令』施行を孝謙天皇の政策とした場合は、一貫しているのである。

 しかも、孝謙天皇は『養老律令』制定の前後に、氏姓の無い百姓に氏姓を与える政策も実施している。これも藤原仲麻呂の政策とみることは難しい。

 孝謙天皇藤原仲麻呂とが「当初は協調していた」と言うことは、後世の先入観では無いのか。『続日本紀』の内容を今一度、読みなおすべきである。

 なお、『養老律令』は女性の財産相続権を重視していることで知られるが、これも藤原仲麻呂の政策とするよりも孝謙天皇の政策とした方が解釈しやすいであろう。

 ちなみに、『養老律令』制定自体は藤原不比等が行っている関係上、藤原仲麻呂もこれには反対しにくかったであろうし、それこそが孝謙天皇の狙いであったと思われる。政敵の意向には沿わないが政敵も反対出来ない政策を提案するとは、中々優れた政治的手腕である。

 『女帝の手記』には描かれていなかった、藤原仲麻呂の謀略を巧みに躱す「良い意味でしたたかな女帝」の顔が有ったのではないか。

 折角tapir様が私のブログを話題にして下さっていたので、私見を書かせていただいた。tapir様に感謝したい。