新田均氏の思想は谷口雅春先生に寧ろ否定的
新田均氏は学ぶ会の機関誌にもたびたび寄稿しているが、谷口雅春先生の名前を使う以上は、自分の「天皇観」と谷口雅春先生の「天皇観」の違いについて、説明しても割らねば、筋が通らない。
なぜ私が敢えて厳しいことを言ったかと言うと、新田均氏は谷口雅春先生の天皇論を寧ろ「否定的」に見ているようであるからである。
彼の主著は『「現人神」「国家神道」と言う幻想』であるが、そこにおいて谷口雅春先生は筧克彦先生らと共に「天皇絶対論」の論者として登場する。
筧克彦先生も生長の家に関係の深い人で、筧克彦先生の息子の筧泰彦先生は日本教文社からも本を出している。
さて、新田均氏がその著書で言いたかったことは、「天皇絶対論」は戦前の日本の公式イデオロギーでは無かった、と言うことであり、それ自体は歴史的事実であるが、彼は「天皇絶対論」が近代以降の新しい思想であって我が国本来の思想では無かった、とも主張しているのである。
今、彼の著書が手元にないので、不正確な引用となるのを防ぐため、直ぐに確認できた新田均氏のブログから引用する。
そもそも、多神教的な神道の立場から絶対神的な天皇像が出てくるわけがない。絶対神的な天皇像というのは、加藤玄智という宗教学者が、外国人にも分かるように、キリスト教的に模して日本人の尊皇心を説明しようとしたことに由来する。それが昭和に入ってから社会に広がっていったのは、共産主義という強烈な国家否定、天皇否定のイデオロギーに対抗しなければならなくなったからだった。
この立場で行くと、谷口雅春先生が天皇陛下を「絶対者」としたのも「共産主義という強烈な国家否定、天皇否定のイデオロギーに対抗しなければならなくなったから」と言うことになってしまう。
果たして、谷口雅春先生は共産主義への対抗を目的として「天皇国・日本」の思想を掲げられたのであろうか?
かつて私が、四宮正貴先生が谷口雅春先生の御教えについて「文章をそのまま読めば女系天皇容認となってしまうが、そうでは無いと信じる」等と言う支離滅裂なことを書いていたことを、生長の家の内部グループで批判したら、スリーパーセルの目に留まったのか、晒されたことが有った。
おそらくはそれが原因で、四宮正貴先生と私は晩年は没交渉となった。私の真意を理解してくれなかったことは残念である。
四宮正貴先生も結局は学ぶ会に行ってしまったが、新田均氏のような方に知らず知らず洗脳されてしまったのではないか。
今年5月の『史学雑誌』に井上正望氏の論文「古代・中世移行期における天皇の変質」と言う論文が掲載されているが、それを読めば「天皇絶対論」の起源は古いことが判る。この論文には次のように記されている。
機関としての天皇は、中世においても絶対的たるべき存在であり、天皇のあるべき姿、即ち理念を表すものであったのである。古代から中世にかけての天皇の変化に対する従来の研究では、天皇の個人的側面顕在化に注目が集まり、同時に形式的とは言え天皇の絶対性維持も行われていたことは十分に注目されてこなかった。
これが最新の歴史学研究の成果であって(『史学雑誌』の論文は東京大学の教授らの査読を経た論文のみが掲載されるのであって、歴史学において最も権威のある雑誌である)、さらに同論文には次のようなことも記されている。
二条は臣下や乳後白河の反対を押し切って多子入内を強行したというが、後白河院の反対を押し切る際に二条が主張した論理が、「天子に父母なし」というものであったという。これは、天皇は親子関係という個人間の血縁的秩序を超越した存在であるとの主張と考えられる。
新田均氏の文章を元に「天皇も血統を変えることはできない」みたいな、的を射ないことを書いておられた方もいたが、天皇絶対の真理――これは、単に谷口雅春先生の宗教的直観であるのみならず、歴史学的事実でもあったことが証明されつつある――を深められれば、そのようなことは言われなくなると思う。
神道が多神教であるとか、天皇陛下は絶対者ではなかったとか言う歴史観こそが、左翼による歴史改竄の最もたるものであり、それに流されないようにしてほしいものである。