生長の家正統派青年のブログ

生長の家青年会一信徒の個人のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

立憲主義と生長の家

 昨日、生長の家信徒でもある従弟に「どうして立憲民主党を支持しているの?」と訊かれた。

 私は「生長の家の御教えに適うのが立憲民主主義だから」と言うことを『”人間・神の子”は立憲主義の基礎』と言うブックレットを基に説明したのだが、従弟には少し難しい話であったようだ。

 


 

 先日も生長の家信徒である女性から「なんで立憲民主党を支持しているの?イデオロギーが違うじゃん!」と言われ、全く聞く耳を持っていただけなかった。政治に関心のない信徒と言うこともあるが、一緒に活動しているとついつい普段からの説明を怠ってしまうことがある。

 一方、逆に立憲民主党の自称支持者から「なんで生長の家という保守系新宗教の信者が入党しているんだ!」と批判を受けることもある。

 

 

 

 

 

 

 ここに挙げたのは一例であるが、生長の家自民党支持であると言うようなデマを流しているものもいれば、明確に与党支持である創価学会は良くて明確に与党不支持である生長の家はダメ、という与党側のスパイとしか思えない言動をしているアカウントもある。

 簡単な話であるが、政権交代のためには保守派からリベラル派までの幅広い支持が必要であり、一方的に保守派を排除するのは政権交代を妨害するための工作である。だから本気で政権交代を目指している日本共産党生長の家に対して好意的に言及している。(もっとも、流石に生長の家日本共産党を好意的に言及することは無いが・・・。)

 「創価学会なら良い」と言う発言をしている方がいることでも判るように、立憲民主党の一部支持者は与党と近い。名指しは避けるが、立憲民主党の支持母体として著名な団体の会長からして、自民党政権の首相諮問会議に名を連ねている。また、これまた名指しは避けるが、立憲民主党の支持母体として知られる某新興宗教生長の家ではない)が今回の総選挙では兵庫12区で山口壮環境大臣自民党二階派)に推薦を出していた。

 だから、立憲民主党支持者の中で一見「与党のスパイでは?」と言う言動をする人は、彼個人が無知な可能性も当然あるが、組織的に自民党公明党のスパイが入り込んでいる可能性も当然あるのである。野党結集を妨害しようとする、例えば、生長の家立憲民主党を支持しようとするとそれを妨害するのは、与党のスパイであると考えて問題ない。

 私はそのような与党のスパイには屈することなく、政権交代のために立憲民主党を支持するのであるが、では生長の家が立憲民主主義をどうして支持するのか、は前述の通り信徒の間でも無理解な方が多い。

 生長の家は歴史的に政治に関心の高い信徒が多いはずなのではあるが、やはり宗教に対して「個人救済」を求める方が世の中には少なくないのであろう。しかしながら、宗教法人の目的は個人救済ではなく、宗教活動を通して公共の福祉に貢献することであり、だからこそ宗教法人には「公益法人」としての地位が認められていることを、忘れてはならない。

 リンク先にも書いてあるが「立憲主義がなく、民主主義だけで国家運営しようとすると、危険な状態になることがある」と言うのが、生長の家の一貫した立場である。

www.hidokeilife.com

 立憲民主主義」と言うが、敢えて言うならば「民主主義」よりも「立憲主義」の方が優先される。多数決が正しいとは限らないからである。

 そもそも、多数決が正しいのであれば、生長の家のような新興宗教は永遠に伝統宗教から迫害されても文句は言えないであろう。新興宗教の信者が「民意」を言い訳に独裁をする安倍政権やその支持母体である日本会議を支持するのは、自殺行為にも等しい。

 民主主義と立憲主義の関係については、かつて生活の党の機関紙第16号にこういう記事があった。

立憲主義とは何か
奈良女子大学教授 小路田泰直
 民意が変われば憲法は変えていい、憲法は民意に従うべきだと考える考え方が ある。憲法を改正するのに96条のような厳しすぎるハ ードルを設けることに批判的な人たちは、概ねそのように考える。違憲立法審査権は国会の立法権を越えるのである。しかしその考え方は、 民主主義的ではあっても、立憲主義的ではない。立憲主義とは、たとえ民意ではあっ ても法 (憲法) に反することはしてはならないとする考え方のことだからである。だから最高裁判所違憲立法審査権は国会の立法権を越えるのである。

 何と立憲主義とは非民主的なことか。 確かにそうである。だから民主主義の好きなフランス人は、ドイツ人の好きな立憲主義が、伝統的に嫌いである。長年にわたる独仏の対立の裡には、この民主主義か立憲主義かの対立があった。そして日本人は立憲主義を選んだ。だから戦前期日本人は英独を好み、仏米を嫌悪した。

 そして立憲主義を選んだのにはそれなりの理由があった。法然親鸞によっ て人の悟りが否定されて800年、日本人は話し合いによる政治の限界を感じ続けてきたからである。たちまちそれが内戦(civil war)に発展する、諸行無常の有様を、蓮如応仁の乱の時の人) の如き、悲しみの目をもって見続けてきたからである。 日本の民主主義は長くて、深い。この国の歴史の長さにつ いては拙著 『卑弥呼天皇制』(洋泉社) を参照してほしい。予め定められたルールなき所、民主主義の成り立たないことを、日本人は身を以て体験してきた。 だから同様の内戦の歴史の中から立憲主義を築き上げた、イギリスやドイツに共感を覚えたのである。

 憲法は変えられないといっているのではない。 明治維新のときのように、予め定められたルールとしての伝統=法の制作者、死者たち (過去の国民) を冥界から呼び出し、死者、生者、共の合意 (祭政 一 致) を装って新たな憲法大日本帝国憲法)をつくりあげたこともある。しかし歴史から受け取った憲法は、通常は変えないのが立憲主義の原則である。 日本国憲法も我々が歴史から受け取った憲法なのである。改憲は慎重に、である。

 これは生活の党(自由党)の見解と言ってもいいだろうし、私もこれに同意する。自由党はその後国民民主党に合流し、私もその時国民民主党に入党、そして今は立憲民主党に入ったと言う経緯がある。

 立憲主義のないところに、真の民主主義はない。それは歴史を振り返ると明白なのである。