生長の家正統派青年のブログ

生長の家青年会一信徒の個人のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

吾々の内に既に「善」が宿っている

 この世界は善一元の神の世界であると、生長の家では教えている。神の世界、本来の世界には、悪など存在しないのである。

 悪い現象が物質界に表れているが、それは本来ナイものが表れているのであって、不自然なことであると、考える。

 谷口雅春先生はこう説かれている。

 自然に神の摂理に従順にまかせて動いておれば、善いことばかり、幸福ばかりが実現すると云うのは、神が本来「善」であるからである。神が何故「善」であるかと云うことがわかるかと云う人があるが、吾々は「最高の善なるもの」を神と名称づけるのであるから、神が何故善であるか――の疑問の存在の余地はない。そして吾々は「善」なるものを求めずにはいられない――それは事実であり、何故吾々が心に「善」を思い浮かべ、それを追及せずにはいられないかと云うと、吾々の内に既に「善」が宿っているからなのである。

「善」が吾々のうちに宿っておらず、全然内的に体験したことがないとしたならば、「善」の何物たるかを吾々は知らず、そを思い浮かべることもなく、それを追及することもない筈である。だから、「善」は自己の内に既にあるのである。イエスは「神の国汝らの内にあり」と云い給うたが、その内在の「善」こそ「神」であり、その内在の善なる世界こそ「神の国」であり――既にあるのである。外在の不完全な国は、内在の神の国の不完全なる顕現に過ぎない。だから、内在の神の国は、外在の世界に、それを押し出そうと云う「内からなる衝動」を起こさずにはいられない。それが吾らの「善と幸福に対する希求」として現れて来るのである。「善と幸福に対する希求」が必然的に吾々に起こるのは、既に内在の世界に神があり、善と福との世界が成就しているからである。

谷口雅春『善と福との実現』19~20頁)

 私たちは皆、善なるものを表現したいという欲求を持っている。その欲求をお互いに尊重しあうと良い世の中になる。

 政治においても、自己内在の神の国を表現したいという、国民のまことなる願いを実現させることが大切である。

 

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