今さらですか?
トキ掲示板にこんな投稿があった。
私達は長い間前原さんや久保さんに騙されていたのだ。虚しいなあ。 (48294) |
「何をいまさら?」と言う感じしかない。教団はこのことを十年以上、訴えてきたのである。
どうして十年以上も教団側の主張に耳を傾けなかったのか。それは教団を敵視する心があったからでは無いのか。
また、tapirさんが昨年私のブログについてコメントしてくださっていたが、その内容の意味がよく判らなかった。
先日、tapirさんがこう投稿しているのを見つけた。
今回のことは、私の中で、どうしても2008年10月の著作権裁判開始と二重写しになります。
2008年10月に裁判を起こす前に、谷口雅宣総裁が松下理事長と話し合いをしていたら、『生命の實相』を失うという悲劇は無かったのではないかと思います。
松下理事長は、印税のことを、話し合いの材料にしたかったのではないでしょうか。しかし、松下理事長に、頭を下げたくない雅宣総裁は、一切の話し合いを拒否して、いきなり裁判に持ち込んだのではないかと、見ています。
この見方が間違っていると思う方は、どうぞ、違う見方を説明してください。
話し合いを期待していた松下理事長は、予想外の展開に、驚き、焦ったのではないかと思います。
彼もまた、反教団の色眼鏡から妄想をされているようである。道理で彼のコメントの意味が理解できない訳である。
話し合いをしたいのであれば、どうして『生命の実相』頭注版の発刊を認めない、と言う暴挙に出たのか。
これが著作権料だけの話であれば、教団がお金を払えば済む話であった。頭注版の出版をも認めない、と社会事業団が言い出し方からこそ、おかしなことになったのである。
生長の家の抹殺・解体を狙っている学ぶ会の宣伝により、教団への色眼鏡を多くの方が持っているようである。
総裁先生への中心帰一が大切であると言うことを忘却しているからこうなるのである。