生長の家正統派青年のブログ

生長の家青年会一信徒の個人のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

志恩さんへ

 かつて安倍政権支持者として私を激しく批判されていた志恩さんであるが、今ではすっかり丸くなられて、榎本一子先生の講話も聞かれるし反安倍政権の人間の言葉にも耳を傾けてくれるようになっている。

 榎本一子先生は早くから(私が高校生の頃から)自民党の問題点に気付かれていた方であるが、志恩さんも感化してくださったのは榎本一子先生の人徳の賜物だろう。

 さて、志恩さんがこんな投稿をしていた。

ところで、このたび、日野君が本部の単青委員長を辞めた理由は、何のでしょう。 (53102)
日時:2022年09月12日 (月) 17時09分
名前:志恩

日野君ブログより

>>私が単青委員長を辞めると
「自主的にして頂いて、ありがとうございます」と、
ある方からメッセージが来た。
「わざわざそれを本人に送るのか」と思ったが(笑)、
本部が私をどう思っているのかが露骨に示されたのは良いことである。<<

 志恩ー
ご自分から自主的に辞めたのですね。辞めた理由を、
もしよろしかったらお話ください。

 本部とは、教団の同義語であろうか。当たり前であるが、単位青年会は本部には存在しない。

 なのでここで言う本部を教団と解釈すると、志恩さんが引用されたと思われる私の記事に事情は書いてある。

snitennoukokunippon.hatenadiary.com

 無論、少し回りくどい言い方になったのは、私も組織の一員であるから当たり前のことである。だから当該記事の末尾にこう書いたのだ。

 だから私は、読者の皆様は私と本部の間に何があったのかは色々と察してくださっているとは思うが、本部批判はしないのである。私と本部は中心帰一の方法が違うだけであり、方法の違いで攻撃しあうと、それこそ御教えへの中心帰一が出来ていないと言うことになるのである。

 志恩さんも私と本部の間に何があったのかは、だいたい想像つくと思う。

 ただ、志恩さんの意図としてはもっと別の角度での理由を知りたいと言うことであろう。

 ここで志恩さんが「ご自分から自主的に辞めたのですね」と書かれたが、こう書かれると却って説明する際の表現に悩んだりする。(笑)

 そもそも「自主的に」と言う言葉は、教団側の上の立場の人間が用いた表現である。それについて「ありがとうございます」と言われるのであるから、私が「自主的に」したこととはいえ、教団の意向に適うものであったという事だ。

 だから、私が教団と対立しているみたいに受け取られたくはない。私が止めたことで本部は対立するどころか、「やめてくれてありがとうございます!」と私に感謝しているのであるから、大調和ではないか。

 そのことを前提として言うと、私がやめた動機と言うのは、これまた別のブログ記事にも書いてあるので、志恩さんにも是非読んでいただきたい。

 その他、様々な事情を総合的に考慮して、「神・自然・人間」の大調和した新しい文明の構築と立憲民主主義を回復する活動に貢献するためには、一度組織の役職を退いた上で個人の信仰を深めて行動することが大切であると考えました。

snitennoukokunippon.hatenadiary.com

 もっとも、これだけの文章では「一度組織の役職を退」く必要性があったのか、と思うかも知れない。

 なのでもっと言葉をいいかえると、天皇国・日本」の実相顕現に身を挺したいと思って役職を退いたということである。

 私と本部の間のやり取りは当然公開はしないが、「天皇国・日本」の実相顕現の為の私の想いは本部に対してハッキリと伝えてある。

 今後、私は一切の役職に就くことは無いから、その分、「天皇国・日本」の実相顕現の為に自由に発言をすることが出来るようになる。

 例えばこれまでは政治家と2ショットを撮るだけで問題視されていた(それも、教団が不支持表明をしていない、それどころか総裁が投票すると公言した政党の政治家である)のが、単位青年会委員長就任前みたいに政治家の後援会の役員を務めることが出来るようになる。『大日本帝国憲法』の復原・改正も主張できるようになる。

 私が辞めることに感謝したという事は、教団も当然、私が自由に発言することは想定内のはずである。つまり、私は今後中心帰一の御教えを守りながら自由に行動できるのである。

 このことを神さまに深く感謝申し上げる。