志恩さんへ(2)
遅くなりましたが、志恩さんが以前から自民党や公明党には是々非々の立場であったこと、ただ安倍首相を批判するようになったのは昨今の家庭連合との関係が明るみに出た後であったという事、承知しました。
確かに志恩さんが安倍首相の評価を巡って私を批判していたのは、家庭連合のことが報道されるようになる前ですから、志恩さんの仰られる通りなのでしょう。ご指摘ありがとうございます。
また、榎本一子先生と志恩さんの関係を誤解していたこと、お詫び申し上げます。
さて、S先生のハンドルネームを志恩さんが公表されていますが、それはお控えになられた方が良いかと思います。
匿名で投稿されたという事は、実名で書けない事情があったと推察されるからです。
S先生も実名であったならば、総裁先生のことを「宗教家として魅力は感じておりません」と述べ、さらには「2代目以降のT家(谷口家)の方々お一人お一人が反省すべき」とまで述べられたとは、思えません。
何故ならば、この部分だけ抜き出すと、S先生が総裁先生どころか大聖師谷口清超先生までをも否定的に見ていた、と誤解されてもおかしくないからです。
無論、私はS先生がそのような方であるとは、露ほどにも思っておりません。
『歴史から何を学ぶか』に掲載されたS先生の論文を読んでも、私は渋谷先生が総裁先生に中心帰一されている方であることを疑いようがありませんし、況してや、谷口清超先生に反省を求めるような方では無いことも明白であろうと考えます。
もっとも、S先生も言葉の綾で掲示板に匿名で投稿されたようなことを言われたのかもしれませんが、それがS先生の言葉として独り歩きするのは、渋谷先生にとって不本意ではないかと思うのです。
恐らく、志恩さんにはそのような意図がなく、純粋に好意でS先生の投稿であると述べられたのだと考えますが、どうも今の掲示板の状況を見るとS先生の御文章が独り歩きして解釈されつつあるように見えます。
「総裁に誰が就任しても、時間とともに、また劣化していく」というようなS先生の言葉など、額面通りに受け止めると、あまりにも厳しすぎる批判です。
もしかしたら、今の生長の家について「雅宣先生が考えられる新しい生長の家」と評される志恩さんからすると、教団は「劣化していく」ものであるという言葉を、額面通りに受け止められているのかもしれませんが。
言うまでも無く、今の生長の家の教えがお二人の大聖師の頃から少なくともその御教えは寸分たりとも変わっておらず、御教えの内容が変わっているというのは反生長の家勢力による情報操作です。
とは言え、教団の役職を事実上追われた私の立場からは、志恩さんの気持ちも理解できるところではあります。
私は辞職自体は自分の意思で行いましたが、辞職しなくてもその翌日に任期満了、そして翌々日以降の再任は認めないと本部から教化部へ念入りに通知が来ていた状況でした。
その理由については教団批判になるのでこれ以上述べませんが、最近トキ掲示板で話題になった一件の一環として行われた措置です。
しかし、それでも私は総裁先生に反省を求める気はありませんし、況してや、谷口清超先生への反省を求めるなど畏れ多い、神に弓を引くような行為であるとしか思えませんが、S先生だからこそ言えることもあったのだと拝察します。
御教えの大先輩である志恩さんにやや失礼な文章となったこと、お許しください。私の非礼を咎めるのは大変結構でありますし、年長者たる志恩さんのむしろ義務であると思いますが、どうかムカデベルトだけは勘弁願います。(笑)