生長の家正統派青年のブログ

生長の家西播青年会委員長のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

大聖師の家系が明らかになる(2)

 山ちゃん氏がブログにおいて大聖師の家系図をさらに詳細に調べた結果を発表されていた。

 山ちゃん氏は私が「反生長の家の人」として紹介されたことを遠回しに咎められていたが、人類光明化運動の不動の中心である「生長の家の大神――総裁・副総裁――御教え」に反対しているという意味で「反生長の家」と述べたのであって、彼の信仰を反生長の家的と言っている訳ではない。山ちゃん氏は元々生長の家青年会で活動されていた先達であるから、今からでも生長の家に戻ってきて大先輩として指導していただきたいものである。

 それはともかくとして、一介の歴史好きとしては山ちゃん氏による調査の学問的クオリティの高さには感嘆するばかりである。

谷口家の系図を推察

天兒屋根命(始祖)⇒廿四世大職冠藤原鎌足⇒淡海(不比等)⇒房前⇒魚名⇒藤成⇒豊澤⇒村雄⇒秀郷(從四位下武藏守藤太鎭守府將軍)⇒小山氏⇒千常(從四位下鎭守府將軍)⇒公光(相模守)⇒佐藤氏⇒公俊(相模守)⇒波多野(佐藤?)經秀⇒波多野(佐藤?)遠秀(從五位下刑部丞)⇒波多野(佐藤?)遠義(藤原師綱の娘・筑前守)⇒波多野義通(筑前守次郎鎭守府將軍)⇒波多野忠綱(?忠經)⇒波多野義重⇒波多野義泰(?通泰)⇒波多野泰重(谷口泰重)弘安元年生まれ→正平九年十一月三日歿⇒谷口泰茂(次良左衛門)⇒谷口康長(次郎)⇒谷口泰吉(次郎左衛門)⇒谷口泰隆(次郎)⇒谷口泰忠(甚左衛門)⇒谷口泰清(次郎左衛門)⇒谷口泰家(次郎)⇒谷口泰親(次良左衛門)⇒谷口泰道(甚左衛門)⇒谷口泰茂(市左衛門)谷口康重(次郎左衛門)⇒谷口泰茂(次良左衛門)谷口康常(文左衛門)⇒谷口康貞信(次良左衛門)⇒谷口康言(文左衛門)⇒谷口忠當(文左衛門)⇒谷口重兵衛⇒谷口音吉⇒ 谷口雅春

(則天去私「谷口家系図」より)

 山ちゃん氏のこの調査は諱と通称の区別をきちんと行っており、通称は括弧内表記としている。

 この区別は極めて重要である。というのも、中世や近世においては通称を世襲することが珍しくなかったからである。

 例えば、谷口家においては「次良左衛門」が4名いて、同じ発音と思われる「次郎左衛門」も3名いて、通称のある16名のうち7名が同じ名前である。このようなことは近世文書では珍しくない現象であるが、通称だけを調べて発表する方がしばしばいるため「一体、どの次郎さんなんだ?」と混乱することが少なくない。その点、山ちゃん氏は諱と通称の区別をきちんとしておられるため、学問的価値が高くなっている。

 元々、日本では律令において全ての国民の「姓」と「諱」を戸籍に登録することが定められていた。

 よく「昔は名字のない人もいた」と言う人がいるが、名字と姓(本姓)は本来異なるものであって、本姓は奈良時代に被差別民を除くすべての国民に天皇陛下から下賜された。そのことは律令国家時代の戸籍を見ると明白である。

 だが、律令国家が崩壊すると本姓が不明瞭となり、また諱についても改まった場ではあまり使われなくなり、江戸時代になると幕府や藩も諱ではなく通称で住民を記録するようになってしまった。だから私は過去の記事でこう記した。

 無論、この「⇒」の間は省略形であるし、また「治郎右衛門」「左衛門」「重兵衛」と言うのは通称であって実名ではない。ただ、当時の住民票に当たる『宗門人別帳』には実名ではなく通称で記されているはずなので、彼らの実名を知ることは困難である。

 従って、山ちゃん様は調査しうる限り最大限の結果を出されたものと思う。生長の家の信徒として感謝したい。

 つまり、私は「実名(諱)」を調べることは「困難である」として、流石の山ちゃん氏もそれを明らかにすることは無理であろうと決めつけてしまっていた。この点、山ちゃん氏に対して非礼であったこと、謝罪する。

 山ちゃん氏のブログには私の非礼を暗に咎めるようなことを記されているような記事もあった。

昨日、『谷口家の家系図』というのを詳細に記載したが、更に調べて行こうと考えています。そうした気持ちがその証左のあらわれです。

 

普通ならば、そんな時代の経過したことはわからないだろうと諦めてしまうのが普通であります。だが、これまでの数々の発見と著作の新たな発見など私個人のいくつかの新たな“見出し”は枚挙に遑ない。それが私の自信ともつながった。

(則天去私「「個人向けデジタル化資料送信サービス」(個人送信)を開始と時代の流れ」より)

 「そんな時代の経過したことはわからないだろうと諦めてしまうのが普通であります」との一句に、先日の私のブログ記事の内容を連想した。私が「彼らの実名を知ることは困難である」と書いたら、山ちゃん氏はその困難なことをやり遂げられた。これは偉業であると言わざるを得ない。

 山ちゃん氏に心より感謝申し上げる。

【脱原発】原子力を含むエネルギー問題は重要です!

 昨年の総選挙では投票においてエネルギー問題を重視した有権者は2割を割り込んだと言われています。

 しかし、生長の家では選挙の投票基準において原子力を含むエネルギー問題を重視しています。

 それについて三浦光宏本部講師補の動画がアップされていたので紹介させていただきます。

 

  この動画でも述べられていますが、放射性廃棄物は循環できないものですので、原子力は決して「再生可能エネルギー」や「クリーンエネルギー」と言えるものではありません。

 宗教を信仰する者は投票において自分のことだけではなく、他人や他の生物のことも考えなければなりません。その観点から宗教団体が脱原発を訴えるのは当然のことであると思います。

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https://www.facebook.com/watch/?v=1063122067786652より

 私の尊敬する真言宗僧侶に、インドに帰化してインド仏教復興運動に取り組んでおられる元インド共和国少数者委員会仏教徒代表(副大臣相当)の佐々井秀嶺上人がおられます。

 佐々井秀嶺上人は原発は仏教に反する!」と言われていました。一時期佐々井上人の下で修行させていただいた私も同じ見解です。

 原発再稼働にはこれまで脱原発を掲げていた野党の中にも賛同する方が出てきています。これを受けて思い出すのは、かつて大聖師・谷口雅春先生の次の警鐘です。

 人間は幸福を求めて此処まで来た。そして物質的方面での幸福はある程度目的を達した。と同時に、これ以上物質的方面からのみ人間の幸福を追求していると、空気の汚染や河川の汚染や更に人間の心の汚染で、各方面から色々の公害を惹き起し、原子戦争の危機まで間近に迫って来つつあるのが現状である。物質文明の轍の進むところ、重力で加速度が加わるように、その位の満足の程度で物質文明の発達を一応停止して、幸福に平和に今を安全に生活した方がよいではないかと提言したとて、互いに競争的に各方面に進歩しつつある物質文明が、今までの惰力で奈落の底へと突進し行くのを停止せしめることはできそうにはないのである。
 こうして人類絶滅の危機に向かってひた走っている人類の文明という高速車を停止せしめることができないとするならば、これを救う道は、その高速車を停止せしめるのではなく方向転換させるほかはないのである。
谷口雅春『新版 栄える生活365章』1~2頁)

 


 

 

 これについて「冷戦期の特殊な話である」と思われる方は、今まさに原発を巡ってロシアとウクライナとが武力行使を含む駆け引きを行っている現状を見ていただきたいのです。

 原子力発電所によって物質的幸福を求めている限り、それは常に安全保障上の脅威となるのです。日本を守るためにも、他人や自然界のいのちを守るためにも、脱原発は必要です。

 


 

 


 

 脱原発を求めて政治活動をすることは、信仰者としての実践でもあります。皆様もエネルギー問題に関心を持っていただけますと幸いです。

姫路城の桜と日本の建国の理念

 先週、姫路城公園に行くと桜が満開でした。先日公式サイトへ投稿したように私の家の桜は既に葉桜でしたから、不思議なものです。

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姫路城

hinotomoki.amebaownd.com

 桜の花と言えば「美人の神」「安産の神」として有名な木花咲弥姫命を連想します。
 日本の象徴(国花)である桜の花の神様は、まさに日本国民統合の象徴である天皇陛下のご先祖様であると伝えられています。
 木花咲弥姫命は美人であるだけでなく、自身の貞操を夫から疑われた際にその身の潔白を証明するため火の中で子供を産んだ逸話があることから、安産の神様と呼ばれています。私はその話を聞いて寧ろ「妄りに他人の貞操を疑ってはいけない」が教訓だと思いましたが。

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姫路城の桜

 さて、どうして花の神様が皇室の祖先なのか、これについて生長の家総裁・谷口雅宣先生は次のように述べられています。

 神武天皇の曾祖父、ニニギノミコトは、天上から日向の地に降臨して、コノハナノサクヤヒメと結婚し、海幸・山幸の2人の兄弟をもうけます。ここに「海」と「山」という自然界の2つの代表が登場します。祖父の山幸は、海の神の娘で、ワニに変身することができるトヨタマヒメと結婚し、ウガヤフキアエズノミコトをもうけます。ここでは、海と山とが混合して一体になっています。そして、ウガヤフキアエズトヨタマヒメの妹のタマヨリヒメとの間に生まれたのが、神武天皇でした。つまり、「天」と「海」と「山」という自然界の3要素を引き継いで生まれたのです。今日は、時間の関係で詳しいことは申し上げられませんが、神武東征の物語の中には、天を象徴する「鳥」だけでなく、海からの協力によっても東征軍が難を逃れるというエピソードが出てきます。こういう種類の人間が、神の御心にしたがうことで人間社会での支配権を得るのが正当である--これが、日本の建国神話の中に埋め込まれたメッセージであると考えられます。
 こういうように考えてみますと、現在、日本の政治権力を握っている人物が、なぜ人気がないのかがよく分かるではありませんか。日本人は、昔から、国の頂点に立つべき人間像をしっかりともっているのです。それは、古くは建国神話の中に記されている。単に金持ちであるとか、多くの政治家を従えているとか、権謀術数に優れているだけでは、日本人は満足しないのです。そういう意味で、この21世紀初頭の時代にも、日本の建国神話から学ぶことはまだ数多くあるのです。私たちは今、民主主義の時代を生きていますから、神話時代のような国をつくることはできません。また、そんな国をつくるべきではないでしょう。しかし、「建国の理想」や「建国の理念」は現代においても大いに通用するものであり、追求すべきものです。そのためには、私たち国民の一人一人がまず、この神武建国の神話に表現された「神の御心にしたがった生き方」を実践することです。また、「海」と「山」に代表される自然界を大切にした生き方を希求すべきです。そして、この理想に少しでも近い政策を掲げ、実行する政治家を選挙によって選ぶのです。

masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com

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姫路城の桜2

 今の自民党公明党の政治が「自然界を大切にした生き方を希求」する政治では無いことは、言うまでもありません。
 今日も桜の花を見て、自然と調和した日本の建国の理想実現のために頑張らせていただきたいと思いました。

生長の家が女性の経済的能力保有を肯定した理由

 

 Twitterを見ていると「生長の家女性差別である」と言うようなデマを流しているアカウントが少なくないことが判ります。

 特に「生長の家は女性の社会進出を否定している!」とか言われると「仕事をしている生長の家信徒の女性、沢山いるんですけど?」とツッコみたくなります。あまりにもバカバカしいので反論する気にはなれないのですが、生長の家の信徒には自明のことであっても外部の方は知らないことがあっても可笑しくは無いので、念の為に説明したいと思います。

 もっとも女性の社会進出を推奨していると思われると今度はネトウヨ日本会議から「フェミニスト」のレッテルを貼られそうなので怖ろしいのですが。

 生長の家では夫婦の調和を説きます。そのため、夫と妻とがそれぞれの役割を果たすように求めます。但し、それは女性が働くことを否定するものではありません。

 それどころか積極的に「女性は経済的能力を持つべきである」と言うのが生長の家の考えです。いわゆる「女性の社会進出」に否定的な日本会議とは全く異なります。

 確かに大聖師・谷口雅春先生は「男性が働き、女性が家庭で」と言うようなライフスタイルを前提にした指導をされてはいます。しかし、それが雅春先生存命中の社会通念に合わせた指導であることは、雅春先生自身が著書で明記されています。

 

夫婦には分担があり、一家においてその受け持つべき役割は異なっています。外から収入を運んで来るのはおおむね良人であり、それを、料理費に、住宅費に、被服費に、消費するのは夫人の役目であるように考えられています。ある家庭ではその逆が行われ、ある家庭では夫婦共稼ぎに外から収入を運んで来るために、それを消費するのは家政婦や女中であったりすることがありますが、これは大多数の家庭ではありませんから、今しばらく考えないことにいたします。(谷口雅春『生命の実相 頭注版』「第29巻 女性教育篇」25頁)

 

 つまり、雅春先生の時代には女性が主として稼いできたり、夫婦共働きであったりするのは「大多数の家庭ではありません」と言う状況であったのでそれに合わせて指導されたのであって、今みたいに夫婦共働きの方が「大多数の家庭」である時代においても共働きについて「考えないことにいたします」と言われるはずがありません。もしも現代に谷口雅春先生が生きておられたら共働きの家庭に合わせた指導をされていたことでしょう。

 そもそも谷口雅春先生ご自身が一種の共働きの家庭であったと言っても良いのです。谷口雅春先生の奥様の谷口輝子先生は生長の家白鳩会総裁として共著を含めると23冊もの本を出版されていますが、奥さんが23冊も本を出している作家の家庭があれば「共働き」であると言えるでしょう。

 ただ、それと谷口雅春先生が今の日本の共働き推奨の風潮に賛同されるかは、又別問題です。谷口雅春先生の頃の「共稼ぎ」の夫婦は二人の収入があるため裕福で女中もいる、そう言う家庭が少なくなかったからです。

 今の日本では男性の給料も下がっているのに、奥さんの方は非正規のこともある訳ですから、夫婦二人分が働いていても全然豊かではない、そう言う家庭が沢山あります。そのような家庭を生み出した原因はもっぱら自民党政権による新自由主義政策が大きい訳ですが、谷口雅春先生は政治活動もされていましたから、もしもご存命であれば恐らく新自由主義には反対されたことでしょう。

 なお、私は「共働き」と言う言葉を使いましたが、雅春先生は一貫して「共稼ぎ」と言う言葉を使っており、その理由も述べています。

 

「家庭の婦人」を働かない婦人だと観る観念は、男性の「俺は妻を養っている!」という言葉を生むのです。「俺は妻を養っている!」――この、良人の不公平な傲語によって、いままでどれだけ多くの女性が蹂躙(ふみにじ)られてきたことでしょう。そのくせ、家外と家内との相異こそあれ、妻も良人も同じように働いているのです。稀には有閑婦人と称する種類の女性がありますが、そんな変態な一部の婦人のことはここには申さないことにいたします。ことごとくの「家庭の婦人」を有閑婦人と考えるのはまちがっているのです。大多数の家庭の婦人は、社会に出て働いている男性の会社員や銀行員や官吏や公吏よりも長時間猛烈に働いているのです。彼女たちはまだ良人が眠っている薄暗い時から起き上がって家の内外を掃除し、朝の炊事その他いっさいの家庭の支度万端をするのです。これをどうして「働かない婦人」だということができましょう。料亭や船舶で炊事をする男は「板場」であるとか、「炊事夫」とか料理長とか司厨長とかいって月給を貰います。「家庭の婦人」はそれらの人よりいっそう朝早くから同じような仕事を励みながらも、良人からは「お前は家にいて働かないで飯を食っているのだ。わしはおまえを養っているのだ」と罵られがちです。男性はも少し「家庭の婦人」の働きの実相について同情がなければならないと思います。この同情がないことが、家庭の空気を冷たいものにし、男性を家庭外の誘惑にかかりやすくならせる原因の一つになっているのです。

 家庭でいくら働いても、女性自身でさえも「家庭の婦人」を「働かない婦人」のうちにともすれば入れようとするのはなぜでしょうか。その理由をここに考えてみたいと思います。それは「家庭の婦人」は朝早く起きて働いても月給を貰わないからです。月給を貰わない働きは経済活動の中にいれられず、不生産的だと誤解され、時には働きが全然ないと軽蔑せられ、「わしはお前を養っている」と言われるのです。しかし、静かに考えてごらんなさい。「家庭の婦人」はどんなにか働いていることよ!(引用前掲書、27~29頁 振り仮名の一部は括弧書きにした)

 

 

 これも当時の状況であって今とは異なる面もあるでしょう。

 今の時代に「お前を養っている!」みたいなベタなセリフを言う男は少ないでしょうし、逆に女性の方は家事の方は時間短縮されても共稼ぎで自分も仕事をしないと生活費に困るような人も少なくないでしょうから、もしも雅春先生が今ご存命であれば「共稼ぎでないと生活できない貧困層」のことも触れられているはずです。

 それはともかく、自民党から共産党まで多くの政党が一丸となって唱えている「女性の社会進出」とか「女性も働く時代」とか言う言葉には、雅春先生の言われる通り賃金労働のみを労働と見做し、家事労働を軽視している風潮があるように感じます。

 女性の就労は尊重されないといけませんが、それが家事を行う女性を否定するようなことであってはいけません。谷口雅春先生はそういう当たり前のことを言っているだけであって、それを「女性差別」扱いするのは左翼勢力によるイチャモンの類です。

 谷口雅春先生は女性がいざ離婚しても自分で生活できるだけの能力を持っている方が夫婦間の愛情は深まるという考えでした。

 

 ですから、女性は、経済的理由でなしに、ただ純粋な愛情のゆえに、男性を選択し、その男性と傷害の伴侶となろうとするには、女性自身がまずいざという時たちまち独立(ひとりだ)ちできるほどの経済的にも能力を持っていなければならないのです。女性が経済的能力を握っている必要は、決して男にたてつくためでもなく、また、必ずしも、結婚後、家庭を出て社会に働けというわけでもなく、自分の良人に対する愛が、純粋に「愛そのもののための愛」であって、生活保証を得るための手段的な不純分子を混入していないということを自分自身にハッキリさせるために必要なのです。

 夫婦関係が、女性側に生活保証を得るための経済的理由を混入している場合は、最近はいかに「純粋な愛」によって結ばれた夫婦関係でありましても、そこに経済的従属関係ができ上がり、男性は経済的に主人公となり、女性はそれへの寄生的生活者となって女性そのものが完全な一個の独立人格たる自覚を失ってしまうことになるのであります。この「自覚の堕落」こそ女性が自覚せずして、自己自身の能力を縛っていることなのです。(引用前掲書、6頁 振り仮名の一部は括弧書きにした)

 

 

 このように生長の家は女性が稼ぐ能力を持つことはむしろ推奨していますが、それが家事労働を軽視することになってはならないという考えでもありますので、自民党政権や一部左派が主張している「配偶者控除廃止」(主婦への増税)による女性の社会進出は生長の家の教えに反すると言えるでしょう。

 生長の家日本会議の女性観の根本的な違いはまた稿を改めて論じたいと思います。

 


 

 


 

 


 

西播青年会のオンライン誌友会を開催しました

 今日、生長の家西播青年会主催で姫路誌友会(輪読会)をオンライン開催しました。初参加の方もおられ、大盛況となりました。

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すべての人は神様

 テキストには大聖師・谷口雅春先生のご著書『真理生活25章』を用いました。

 

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 生長の家兵庫教区教職員会副会長・日野智恵子講師による解説もとてもわかりやすかったです。

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潜在意識が95%。そのさらに奥には善一元の神。

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人間は皆神様であるというのが実相(本当のすがた)

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「人間・神の子」の自覚に勝る自己肯定感は無い!

 次回は4月10日の開催となります。次回の講師は生長の家兵庫教区青年会副委員長の橋本百合子先生です。

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今回の参加者の皆様

 参加希望者は私までご連絡のほど、よろしくお願いします。



 

 

 

生長の家西播青年会委員長を拝命しました

 2月4日付で生長の家西播青年会の委員長を拝命しました。任命証は今日届いたので、一か月以上たってから任命証が届いたことになります。(笑)

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生長の家西播青年会委員長任命証

 今後も人類光明化運動・国際平和信仰運動による日本国実相顕現・自然と共に伸びる新しい文明の構築へと邁進させていただきます。

今さらですか?

 トキ掲示板にこんな投稿があった。

私達は長い間前原さんや久保さんに騙されていたのだ。虚しいなあ。 (48294)
日時:2022年02月09日 (水) 20時38分
名前:地方の一栄える経営者

谷口雅春先生ご昇天後の新刊書の出版について

前原氏は、「新刊書を毎年2,3冊出すということが理事会の決定でいったん決まっていたんですが、一切出ていない」「谷口雅宣先生が、(新刊書)を無くしたい、無くしたいというふうに動いてくる」と述べています。

また、久保氏は、「雅宣先生は、谷口雅春先生の大事なご本を次から次に発行を禁止しています。」と語っていますが、これらは、いずれも虚偽の発言であり、事実ではありません。


「いずれも虚偽の発言であり、事実ではありません」

長い間騙されてたんだな

 

「何をいまさら?」と言う感じしかない。教団はこのことを十年以上、訴えてきたのである。

 どうして十年以上も教団側の主張に耳を傾けなかったのか。それは教団を敵視する心があったからでは無いのか。

 また、tapirさんが昨年私のブログについてコメントしてくださっていたが、その内容の意味がよく判らなかった。

 先日、tapirさんがこう投稿しているのを見つけた。

今回のことは、私の中で、どうしても2008年10月の著作権裁判開始と二重写しになります。

2008年10月に裁判を起こす前に、谷口雅宣総裁が松下理事長と話し合いをしていたら、『生命の實相』を失うという悲劇は無かったのではないかと思います。

松下理事長は、印税のことを、話し合いの材料にしたかったのではないでしょうか。しかし、松下理事長に、頭を下げたくない雅宣総裁は、一切の話し合いを拒否して、いきなり裁判に持ち込んだのではないかと、見ています。

この見方が間違っていると思う方は、どうぞ、違う見方を説明してください。

話し合いを期待していた松下理事長は、予想外の展開に、驚き、焦ったのではないかと思います。

 

 彼もまた、反教団の色眼鏡から妄想をされているようである。道理で彼のコメントの意味が理解できない訳である。

 話し合いをしたいのであれば、どうして『生命の実相』頭注版の発刊を認めない、と言う暴挙に出たのか。

 これが著作権料だけの話であれば、教団がお金を払えば済む話であった。頭注版の出版をも認めない、と社会事業団が言い出し方からこそ、おかしなことになったのである。

 生長の家の抹殺・解体を狙っている学ぶ会の宣伝により、教団への色眼鏡を多くの方が持っているようである。

 総裁先生への中心帰一が大切であると言うことを忘却しているからこうなるのである。