生長の家正統派青年のブログ

生長の家青年会一信徒の個人のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

家を継がない場合の先祖供養について――一人暮らしや入籍のケース

 生長の家では先祖伝来の宗教を尊重するようにしています。例えば、伝統仏教の檀家であれば檀家であることを推奨し、家には仏壇を置きその宗旨のお経を読誦することを推奨しているのです。

 その理由は大きく二つあり、一つ目はどんな宗教の教えにも真理は含まれているからです。

 生長の家では人間は「神の子」と説きますが、大乗仏教では一切の衆生に「仏性」があると説きます。これらは表現が異なるだけで本質的には同じ意味である、と生長の家では考えるのです。

 二つ目は、先祖代々の信仰を否定するのは、そもそもご先祖様に失礼であると考えるからです。ご先祖様に改宗を求めたりするのは「お前たちの信仰は間違っているぞ」というのと同じことになります。

 生長の家ではどんな宗教の方であっても、反社会的な信仰をお持ちの方以外は、改宗を求めないのです。キリスト教でも「人間に原罪がある」というのは生長の家の考え方とは完全に異なりますが、だからと言ってクリスチャンに「お前たちの信仰は間違いだから改宗せよ」とは言いません。無論、生長の家の信者が教会に通うのも自由です。

 況してや先祖の信仰となると、これを尊重するべきは当然のことです。

 しかしながら、今の時代にはどこのお寺の檀家でもなく、従って仏壇もない家が珍しくありません。これは今に始まったことでは無く、そもそも仏壇は跡取りが継承するものであると一般に考えられているので、分家の場合は仏壇が無い家も多いのです。

 また一人暮らしや単身赴任の場合ですと、そもそも仏壇を置くスペースの無い家も珍しく無いです。

 こうした場合の先祖供養の意義について、生長の家の公式サイトに次のような説明があります。

www.hidokeilife.com

 少し私の言葉で説明すると、先祖供養とは何も家の祭祀に限ったことでは無く、例えば結婚して嫁や婿の家に行っても実家の先祖を供養した方が良いのです。

 また、独身の場合でも両親の家の両方の先祖を供養した方が良いです。

 昔は、生長の家の信者の女性がお嫁に行くと嫁ぎ先から「なんで実家の先祖の供養をしているんだ!」等と怒られたというような話もあったようですが、今の時代にそんな男尊女卑な観念の方はいないでしょう。

 無論、それは嫁ぎ先の仏壇に実家の先祖の位牌も置くという意味ではなく、生長の家では位牌となる紙を一柱100円で頒布していますから、それに「○○家先祖代々親族縁族一切之霊位」と書いて、それに向かって生長の家のお経と実家の宗派のお経を読誦すれば良いのです。

 また生長の家に限らず、霊友会系の新興宗教も両家の先祖を祀るように指導されているそうです。それはとても素晴らしいことであると考えます。

 一人暮らしの場合も同様です。こうした位牌は先祖の依り代、言わば先祖と自分を繋ぐアンテナのような役割を果たします。

 ご先祖様は家を継いだ子孫だけが可愛いかと言うと、そんなバカなことはありません。分家をした子孫も一人暮らしをした子孫も嫁や婿に行った子孫も、皆等しく可愛いに決まっています。

 そして霊界では時空を超越していますから、どこで先祖供養をしても本質的には問題が無いのです。これは実は死後だけでなく生きている間もそうです。

 遠くから誰かの幸福を祈ると、その祈りは必ずその方に通じます。それは生きている人間も亡くなった人間も関係ありません。目の前の人間だけを幸せにする祈りなど、その効果は知れています。

 ただ、先祖供養の一番の効果は、自分と先祖は共に神と一体である、仏教的には共に仏性があると悟ることにあります。