生長の家正統派青年のブログ

生長の家青年会一信徒の個人のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

氏族制度と皇籍復帰

 トキ掲示板を見ると、首相官邸の公式サイトの内容から、久良親王と忠房親王の例を挙げている人がいて、よく勉強されているとは思うのですが。

 「無知の知」という言葉があります。中世や近世の朝廷については、正史が残っていないこともあり、事実関係において謎が多いのみならず、朝廷の公式見解(建て前)すらも不明な点が多いのです。

 名だたる歴史学者の方同士が激しく論争されており、それを見て私も参戦したくなることもありますが、迂闊に参戦すると痛い目に遭いそうな感じもする分野であります。

 ここで、氏族と言うものについて、少しお話を。

 律令国家制定以降の日本は「氏族国家」から「家族国家」へと変身しました。以降、我が国は家族国家が根本規範の一つです。

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 しかし、氏族と言うものが無くなったわけでは無く、氏姓は明治4年まで使用されていました。明治以降は家名のことを「氏」と言うようになったので、紛らわしいので氏姓は「本姓」と言うことにします。

 この氏族の継承は男系で行われている、と言うイメージは平安時代の『新撰姓氏録』から生まれたのでしょうが、実態には合わないでしょう。紀朝臣(紀国造系統と武内宿禰系統)や出雲臣(素戔嗚尊系統と天穂日命系統)を「男系の祖先が違う」と言う理由で「同名の二つの氏族」に分類する人もいますが、女系も含めると同じ祖先で本姓も同じなのですから、同じ氏族であると考えた方が自然です。

 一方、婚姻によって氏族が変わることはありませんでした。氏族は専ら養子や猶子になることでのみ、継承されます。この養子や猶子も、氏族変更の「必要条件」であって「十分条件」ではありません。

 唯一の例外が、天皇陛下が勅令で全く同じ氏姓を下賜すると言う、ウルトラCです。しかしながら、皇室においてはそもそも氏姓が無いので、この方法は使えません。

 久良親王と忠房親王は、いずれも時の天皇又は上皇の猶子となった結果、皇籍復帰した事例です。

 こういう話をすると、旧宮家の人を養子に迎えればよい、などと言う話をされる方がいるのですが、それは飛躍しすぎでしょう。

 何度も言いますが、男系の皇統に限定しても、旧宮家よりも皇室に近い華族がいる以上、旧宮家に拘るのは男系の皇統維持とは別の目的があるように感じられます。

 ただ、例えば、悠仁親王殿下が今上陛下の養子になることはできないのか、等の可能性は議論されてしかるべきかと思います。

 私は近世史の専門家ではありませんので、もしかしたら異説もあるかも知れませんが、上皇陛下がモデルにされた光格天皇を始めとする宮家出身の天皇の多くは、形式的にせよ前天皇の養子ということ(末期養子)にしたはずです。

 これは、歴史学的にはともかく、霊的には意味のあることだと考えます。意味のないことをなさるはずがありませんから、男系と言うだけではなくて、養子縁組を必要とした事情があったはずです。

 生長の家の方ならば理解してくれると思いますが、天皇陛下崩御されると、陵墓には荒魂が祀られて、高天原に奇魂が帰られて(恐らくは天照大御神様の元に帰られる?)、神社や宮中三殿では皇室の氏神(皇祖皇宗の御神霊)として和魂が祀られるわけですが、では、幸魂はいずこに、と言う話なのです。

 幸魂は家の守り神になられる訳ですが、具体的には、その家系の子孫の守護神となられるはずです。ではその家が無かったら、と言うと、今世での役目を終えているということですから、来世での修行に専念されるようになるのかもしれませんが、養子と言う形でも家を残してほしいと言う思想が有ったからこそ、末期養子の形式を取られたのではないか、と、私としては推察している訳です。

 事実、東伏見宮家は『皇室典範』の規定で養子が取れないため、当主であるハワイ王室との縁談が有ったことでも著名な依仁親王が子供を残さないまま亡くなった結果、久邇宮家の邦英王殿下が臣籍降下して「東伏見家」を名乗っているのです。それも祭祀継承の為と言いますから、臣籍降下してでも家を残したいという意識があるように推察されます。

 こう考えると、今上陛下と秋篠宮家の両方の家を残すためには、どちらかを女性宮家として残すか、それが無理でも、せめて、悠仁親王殿下が今上陛下の養子となり、秋篠宮家は眞子内親王殿下か佳子内親王殿下が臣籍降下して「秋篠家」を建立して旦那さんにはそこに入っていただく、という形を取られる方が良いのではないでしょうか?

 いずれにせよ、皇室の養子縁組は検討されるべき課題ではありますが、様々な条件があり得るでしょうから、迂闊に断定的なことは言えない状況であります。