因果眩ますこと能わず
世間では「因果応報」とか「勧善懲悪」とかを信じている、或いは、信じてはいない(無宗教である)が理想視している(道徳として尊重している)方もおられるようである。
一方、私は「神は愛なり」という生長の家の御教えを信じる者であるから、罰を下すような神を信じはしないし、また、人に罰を与えることが必ずしも良いとは思わない、ただ、国家の秩序を保つためには罪を償わせる必要もあるが、やはり罪を償わせることによってどんな犯罪者でも更生できるようになるのが理想である。
ところで、神が罰を下すことは信じないと言っても、一見「因果応報」と見えることはある。
私はこの世界は一種の修練場、「人生学校」という方もいるが、そういう場所であると思っている。
生長の家では「外界は内界の現れである」と説く。神は愛であるが、私たちの心の中に愛がなければ、世界に遍満している愛に気付かない。例えば、心の中で争いを浮かべていて、その結果本当に誰かと争っていても、それは神が罰を下したのではなく、自分が争いの心を持っていた結果である。
さて、今月の1日に私はとある政党の青年組織の副代表になったところ、ネット上で東大教授を含む様々な方から激しい非難を受け、また、それに便乗してデマを流す方もおり、その中には立憲民主党の顔見知りの党員までもがいたのであった。
結果、私は副代表の職を即日解任となったが、私の言動に対して批判を受けたのであればそれは表現の自由の範囲内であるし、私自身に原因があることであるから、私も批判を覚悟で行動しているのであるから仕方のないことであるけれども、中には私が日本会議に近いとか、安倍元首相と同じ思想である、等と言う事実無根のデマを流すものがおり、それを見たときは、怒りを抑えるのに苦労したのである。
私は母親のお腹の中にいる頃から生長の家の信徒であり、ご存知の方も多いと思うが、生長の家は私の生まれる遥か前の昭和58年(西暦1983年、皇暦2643年)に自民党と訣別していたのみならず、平成28年(西暦2016年、皇暦2676年)からは3度に渡って自民党と公明党への不支持を表明しており、また、日本会議関係団体からは生長の家の宗教活動への様々な妨害を受けているのであり、生長の家は日本会議や安倍元首相とは正反対と言っても良い立場である。
そのような生長の家を信仰する私にとって、日本会議や安倍元首相の支持者であるかのように扱われることは、耐えがたき苦痛であった。
しかしながら、内界は外界の現れであり、また、神は愛であると言う信仰を持つ私は、このことも私の心の反映なのであり、また、私にとって勉強となることであると考えることにしたのである。
私が真っ先に学んだのは、「神は愛なり」「神の子である人間も愛である」という事であった。
ある友達は今回の件で私が人間不信に陥るのではないか、と心配されたが、逆であった。あれだけ激しい誹謗中傷に晒されても私を気遣ってくれる友人が存在することで、私はもっと人間を信用しても良いという勉強を成すことが出来たのである。
そんな中、とっても猫さんの次のツイートが私の目に留まったのであった。
本多さんをデマから守れなかった立憲民主党はまた立憲ユースの日野さんもデマから守ることができなかった
— とっても猫 (@Zsv58WzxyyWq8NF) 2021年12月9日
本多平直氏はなぜ辞任したのか―政治的正しさよりも大切なもの―|馬の眼 ishtarist @ishtarist #note https://t.co/UN1U13Fmdt
私はこれを読んで衝撃を覚えたのである。私は本多議員を批判していた一人であったし、今でも彼とは意見が合わないと思っているが、だが、彼に対するデマに気付かずに彼への炎上に便乗したこと、それは私の大きな過ちであった。
政治家の責任の取り方は、事実に基づいて議論することが大前提であって、デマに基づく炎上の責任を取って辞任をすることなど、あってはならないことである。しかしながら、それに私自身が加担していたのである。
しかも、私はこの時の報道が捏造報道である可能性を、当初自覚していたのであった。
実際には本多議員は「中学生と性交」というような表現は用いていなかったという事であり、当該発言の存在自体が怪しいことは私も当初から認識していたにも拘らず、いざ本多議員の名前が挙がると様々な先入観から明確なファクトチェックをせずに炎上に加担したこと、これは私の過ちであること、言うまでもない。
あまり「因果応報」という言葉は使いたくないが、今回、私が同様の目に遭ったことはまさに「因果眩ますこと能わず」としか言いようが無いのである。
そして、そのようなことを教えてくださったこの件は、誠に有難い勉強であった。
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立憲主義と生長の家
昨日、生長の家信徒でもある従弟に「どうして立憲民主党を支持しているの?」と訊かれた。
私は「生長の家の御教えに適うのが立憲民主主義だから」と言うことを『”人間・神の子”は立憲主義の基礎』と言うブックレットを基に説明したのだが、従弟には少し難しい話であったようだ。
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先日も生長の家信徒である女性から「なんで立憲民主党を支持しているの?イデオロギーが違うじゃん!」と言われ、全く聞く耳を持っていただけなかった。政治に関心のない信徒と言うこともあるが、一緒に活動しているとついつい普段からの説明を怠ってしまうことがある。
一方、逆に立憲民主党の自称支持者から「なんで生長の家という保守系新宗教の信者が入党しているんだ!」と批判を受けることもある。
立憲ユース副代表に生長の家は引くわぁ
— しょうた (@Schott_19821018) December 1, 2021
さすがに生長の家はないわ
— しょうた (@Schott_19821018) December 1, 2021
創価学会の信者が立憲なら許せるけど、生長の家はない
おっしゃる通りです。
— Stray_Baritone (@stray_baritone) December 1, 2021
僕は年を取りましたが、感情的になるとこの事を忘れそうになります。
『自立して生きている』→『生かされている』につながります。
余談ですが、立憲民主党青年局『立憲ユース』の副代表に、生長の家の信者が就任しましたが、大丈夫ですかね?
立憲ユースの副代表がミソジニストで生長の家関係者でその他もろもろてんこ盛りの人で・・・っていうのを聞いてあまりショックではない自分がショックだわ。
— あつみ(逆賊ノイジーマイノリティ) (@atumix) December 1, 2021
つまり新体制はそういう方向性だっていうことを、無意識的に把握してたっていうことなんだろうな。
自民の生長の家が立憲民主にもいるようですね。
— 2+2=5 (@XsgThgnQyBsNmee) December 1, 2021
師匠、立憲「気をつけろ」との注意喚起!全くです。青年部副代表にカルトに染まり切った人物を抜擢(苦情があったからか、即解任はしたものの)~全て人間を神の子として..「尊皇愛国」「生長の家総裁に中心帰一し..」~こんな人物。政策:「改憲」静かな環境で議論(😱)
— アゲハ蝶 (@taniguchikazuk2) December 2, 2021
新立憲執行部「気をつけろ」です!
ここに挙げたのは一例であるが、生長の家が自民党支持であると言うようなデマを流しているものもいれば、明確に与党支持である創価学会は良くて明確に与党不支持である生長の家はダメ、という与党側のスパイとしか思えない言動をしているアカウントもある。
簡単な話であるが、政権交代のためには保守派からリベラル派までの幅広い支持が必要であり、一方的に保守派を排除するのは政権交代を妨害するための工作である。だから本気で政権交代を目指している日本共産党は生長の家に対して好意的に言及している。(もっとも、流石に生長の家が日本共産党を好意的に言及することは無いが・・・。)
「創価学会なら良い」と言う発言をしている方がいることでも判るように、立憲民主党の一部支持者は与党と近い。名指しは避けるが、立憲民主党の支持母体として著名な団体の会長からして、自民党政権の首相諮問会議に名を連ねている。また、これまた名指しは避けるが、立憲民主党の支持母体として知られる某新興宗教(生長の家ではない)が今回の総選挙では兵庫12区で山口壮環境大臣(自民党二階派)に推薦を出していた。
だから、立憲民主党支持者の中で一見「与党のスパイでは?」と言う言動をする人は、彼個人が無知な可能性も当然あるが、組織的に自民党や公明党のスパイが入り込んでいる可能性も当然あるのである。野党結集を妨害しようとする、例えば、生長の家が立憲民主党を支持しようとするとそれを妨害するのは、与党のスパイであると考えて問題ない。
私はそのような与党のスパイには屈することなく、政権交代のために立憲民主党を支持するのであるが、では生長の家が立憲民主主義をどうして支持するのか、は前述の通り信徒の間でも無理解な方が多い。
生長の家は歴史的に政治に関心の高い信徒が多いはずなのではあるが、やはり宗教に対して「個人救済」を求める方が世の中には少なくないのであろう。しかしながら、宗教法人の目的は個人救済ではなく、宗教活動を通して公共の福祉に貢献することであり、だからこそ宗教法人には「公益法人」としての地位が認められていることを、忘れてはならない。
リンク先にも書いてあるが「立憲主義がなく、民主主義だけで国家運営しようとすると、危険な状態になることがある」と言うのが、生長の家の一貫した立場である。
「立憲民主主義」と言うが、敢えて言うならば「民主主義」よりも「立憲主義」の方が優先される。多数決が正しいとは限らないからである。
そもそも、多数決が正しいのであれば、生長の家のような新興宗教は永遠に伝統宗教から迫害されても文句は言えないであろう。新興宗教の信者が「民意」を言い訳に独裁をする安倍政権やその支持母体である日本会議を支持するのは、自殺行為にも等しい。
民主主義と立憲主義の関係については、かつて生活の党の機関紙第16号にこういう記事があった。
立憲主義とは何か
奈良女子大学教授 小路田泰直
民意が変われば憲法は変えていい、憲法は民意に従うべきだと考える考え方が ある。憲法を改正するのに96条のような厳しすぎるハ ードルを設けることに批判的な人たちは、概ねそのように考える。違憲立法審査権は国会の立法権を越えるのである。しかしその考え方は、 民主主義的ではあっても、立憲主義的ではない。立憲主義とは、たとえ民意ではあっ ても法 (憲法) に反することはしてはならないとする考え方のことだからである。だから最高裁判所の違憲立法審査権は国会の立法権を越えるのである。何と立憲主義とは非民主的なことか。 確かにそうである。だから民主主義の好きなフランス人は、ドイツ人の好きな立憲主義が、伝統的に嫌いである。長年にわたる独仏の対立の裡には、この民主主義か立憲主義かの対立があった。そして日本人は立憲主義を選んだ。だから戦前期日本人は英独を好み、仏米を嫌悪した。
そして立憲主義を選んだのにはそれなりの理由があった。法然や親鸞によっ て人の悟りが否定されて800年、日本人は話し合いによる政治の限界を感じ続けてきたからである。たちまちそれが内戦(civil war)に発展する、諸行無常の有様を、蓮如 (応仁の乱の時の人) の如き、悲しみの目をもって見続けてきたからである。 日本の民主主義は長くて、深い。この国の歴史の長さにつ いては拙著 『卑弥呼と天皇制』(洋泉社) を参照してほしい。予め定められたルールなき所、民主主義の成り立たないことを、日本人は身を以て体験してきた。 だから同様の内戦の歴史の中から立憲主義を築き上げた、イギリスやドイツに共感を覚えたのである。
憲法は変えられないといっているのではない。 明治維新のときのように、予め定められたルールとしての伝統=法の制作者、死者たち (過去の国民) を冥界から呼び出し、死者、生者、共の合意 (祭政 一 致) を装って新たな憲法 (大日本帝国憲法)をつくりあげたこともある。しかし歴史から受け取った憲法は、通常は変えないのが立憲主義の原則である。 日本国憲法も我々が歴史から受け取った憲法なのである。改憲は慎重に、である。
これは生活の党(自由党)の見解と言ってもいいだろうし、私もこれに同意する。自由党はその後国民民主党に合流し、私もその時国民民主党に入党、そして今は立憲民主党に入ったと言う経緯がある。
立憲主義のないところに、真の民主主義はない。それは歴史を振り返ると明白なのである。
新田均氏の思想は谷口雅春先生に寧ろ否定的
新田均氏は学ぶ会の機関誌にもたびたび寄稿しているが、谷口雅春先生の名前を使う以上は、自分の「天皇観」と谷口雅春先生の「天皇観」の違いについて、説明しても割らねば、筋が通らない。
なぜ私が敢えて厳しいことを言ったかと言うと、新田均氏は谷口雅春先生の天皇論を寧ろ「否定的」に見ているようであるからである。
彼の主著は『「現人神」「国家神道」と言う幻想』であるが、そこにおいて谷口雅春先生は筧克彦先生らと共に「天皇絶対論」の論者として登場する。
筧克彦先生も生長の家に関係の深い人で、筧克彦先生の息子の筧泰彦先生は日本教文社からも本を出している。
さて、新田均氏がその著書で言いたかったことは、「天皇絶対論」は戦前の日本の公式イデオロギーでは無かった、と言うことであり、それ自体は歴史的事実であるが、彼は「天皇絶対論」が近代以降の新しい思想であって我が国本来の思想では無かった、とも主張しているのである。
今、彼の著書が手元にないので、不正確な引用となるのを防ぐため、直ぐに確認できた新田均氏のブログから引用する。
そもそも、多神教的な神道の立場から絶対神的な天皇像が出てくるわけがない。絶対神的な天皇像というのは、加藤玄智という宗教学者が、外国人にも分かるように、キリスト教的に模して日本人の尊皇心を説明しようとしたことに由来する。それが昭和に入ってから社会に広がっていったのは、共産主義という強烈な国家否定、天皇否定のイデオロギーに対抗しなければならなくなったからだった。
この立場で行くと、谷口雅春先生が天皇陛下を「絶対者」としたのも「共産主義という強烈な国家否定、天皇否定のイデオロギーに対抗しなければならなくなったから」と言うことになってしまう。
果たして、谷口雅春先生は共産主義への対抗を目的として「天皇国・日本」の思想を掲げられたのであろうか?
かつて私が、四宮正貴先生が谷口雅春先生の御教えについて「文章をそのまま読めば女系天皇容認となってしまうが、そうでは無いと信じる」等と言う支離滅裂なことを書いていたことを、生長の家の内部グループで批判したら、スリーパーセルの目に留まったのか、晒されたことが有った。
おそらくはそれが原因で、四宮正貴先生と私は晩年は没交渉となった。私の真意を理解してくれなかったことは残念である。
四宮正貴先生も結局は学ぶ会に行ってしまったが、新田均氏のような方に知らず知らず洗脳されてしまったのではないか。
今年5月の『史学雑誌』に井上正望氏の論文「古代・中世移行期における天皇の変質」と言う論文が掲載されているが、それを読めば「天皇絶対論」の起源は古いことが判る。この論文には次のように記されている。
機関としての天皇は、中世においても絶対的たるべき存在であり、天皇のあるべき姿、即ち理念を表すものであったのである。古代から中世にかけての天皇の変化に対する従来の研究では、天皇の個人的側面顕在化に注目が集まり、同時に形式的とは言え天皇の絶対性維持も行われていたことは十分に注目されてこなかった。
これが最新の歴史学研究の成果であって(『史学雑誌』の論文は東京大学の教授らの査読を経た論文のみが掲載されるのであって、歴史学において最も権威のある雑誌である)、さらに同論文には次のようなことも記されている。
二条は臣下や乳後白河の反対を押し切って多子入内を強行したというが、後白河院の反対を押し切る際に二条が主張した論理が、「天子に父母なし」というものであったという。これは、天皇は親子関係という個人間の血縁的秩序を超越した存在であるとの主張と考えられる。
新田均氏の文章を元に「天皇も血統を変えることはできない」みたいな、的を射ないことを書いておられた方もいたが、天皇絶対の真理――これは、単に谷口雅春先生の宗教的直観であるのみならず、歴史学的事実でもあったことが証明されつつある――を深められれば、そのようなことは言われなくなると思う。
神道が多神教であるとか、天皇陛下は絶対者ではなかったとか言う歴史観こそが、左翼による歴史改竄の最もたるものであり、それに流されないようにしてほしいものである。
氏族制度と皇籍復帰
トキ掲示板を見ると、首相官邸の公式サイトの内容から、久良親王と忠房親王の例を挙げている人がいて、よく勉強されているとは思うのですが。
「無知の知」という言葉があります。中世や近世の朝廷については、正史が残っていないこともあり、事実関係において謎が多いのみならず、朝廷の公式見解(建て前)すらも不明な点が多いのです。
名だたる歴史学者の方同士が激しく論争されており、それを見て私も参戦したくなることもありますが、迂闊に参戦すると痛い目に遭いそうな感じもする分野であります。
ここで、氏族と言うものについて、少しお話を。
律令国家制定以降の日本は「氏族国家」から「家族国家」へと変身しました。以降、我が国は家族国家が根本規範の一つです。
しかし、氏族と言うものが無くなったわけでは無く、氏姓は明治4年まで使用されていました。明治以降は家名のことを「氏」と言うようになったので、紛らわしいので氏姓は「本姓」と言うことにします。
この氏族の継承は男系で行われている、と言うイメージは平安時代の『新撰姓氏録』から生まれたのでしょうが、実態には合わないでしょう。紀朝臣(紀国造系統と武内宿禰系統)や出雲臣(素戔嗚尊系統と天穂日命系統)を「男系の祖先が違う」と言う理由で「同名の二つの氏族」に分類する人もいますが、女系も含めると同じ祖先で本姓も同じなのですから、同じ氏族であると考えた方が自然です。
一方、婚姻によって氏族が変わることはありませんでした。氏族は専ら養子や猶子になることでのみ、継承されます。この養子や猶子も、氏族変更の「必要条件」であって「十分条件」ではありません。
唯一の例外が、天皇陛下が勅令で全く同じ氏姓を下賜すると言う、ウルトラCです。しかしながら、皇室においてはそもそも氏姓が無いので、この方法は使えません。
久良親王と忠房親王は、いずれも時の天皇又は上皇の猶子となった結果、皇籍復帰した事例です。
こういう話をすると、旧宮家の人を養子に迎えればよい、などと言う話をされる方がいるのですが、それは飛躍しすぎでしょう。
何度も言いますが、男系の皇統に限定しても、旧宮家よりも皇室に近い華族がいる以上、旧宮家に拘るのは男系の皇統維持とは別の目的があるように感じられます。
ただ、例えば、悠仁親王殿下が今上陛下の養子になることはできないのか、等の可能性は議論されてしかるべきかと思います。
私は近世史の専門家ではありませんので、もしかしたら異説もあるかも知れませんが、上皇陛下がモデルにされた光格天皇を始めとする宮家出身の天皇の多くは、形式的にせよ前天皇の養子ということ(末期養子)にしたはずです。
これは、歴史学的にはともかく、霊的には意味のあることだと考えます。意味のないことをなさるはずがありませんから、男系と言うだけではなくて、養子縁組を必要とした事情があったはずです。
生長の家の方ならば理解してくれると思いますが、天皇陛下が崩御されると、陵墓には荒魂が祀られて、高天原に奇魂が帰られて(恐らくは天照大御神様の元に帰られる?)、神社や宮中三殿では皇室の氏神(皇祖皇宗の御神霊)として和魂が祀られるわけですが、では、幸魂はいずこに、と言う話なのです。
幸魂は家の守り神になられる訳ですが、具体的には、その家系の子孫の守護神となられるはずです。ではその家が無かったら、と言うと、今世での役目を終えているということですから、来世での修行に専念されるようになるのかもしれませんが、養子と言う形でも家を残してほしいと言う思想が有ったからこそ、末期養子の形式を取られたのではないか、と、私としては推察している訳です。
事実、東伏見宮家は『皇室典範』の規定で養子が取れないため、当主であるハワイ王室との縁談が有ったことでも著名な依仁親王が子供を残さないまま亡くなった結果、久邇宮家の邦英王殿下が臣籍降下して「東伏見家」を名乗っているのです。それも祭祀継承の為と言いますから、臣籍降下してでも家を残したいという意識があるように推察されます。
こう考えると、今上陛下と秋篠宮家の両方の家を残すためには、どちらかを女性宮家として残すか、それが無理でも、せめて、悠仁親王殿下が今上陛下の養子となり、秋篠宮家は眞子内親王殿下か佳子内親王殿下が臣籍降下して「秋篠家」を建立して旦那さんにはそこに入っていただく、という形を取られる方が良いのではないでしょうか?
いずれにせよ、皇室の養子縁組は検討されるべき課題ではありますが、様々な条件があり得るでしょうから、迂闊に断定的なことは言えない状況であります。
『週刊新潮』は里中満智子さんの発言を曲解しているのでは?
トキ掲示板でのtapirさんたちの投稿を見て「おや?」と思った。
そこに引用されていた『週刊新潮』七月一日号の記事である。
そこでは、里中満智子さんの次の発言が紹介されている。
〈女性皇族が結婚なさってその夫も皇族となれば、権威を得る手段として女性皇族を利用する男性が出現しないとは限らない――という、いささか古めいた心配だが、長い歴史の中ではそのような不安は現実となりそうな事例もあった〉
その「長い歴史の中」であった「不安」を『週刊新潮』は「道鏡事件」のことであると断定して、八木秀次氏のコメントを紹介する。
だが、この『週刊新潮』の記者は里中満智子さんの作品を読んだことがあるのだろうか?里中満智子さんの代表作は『天上の虹』だが、そのシリーズにはまさに、称徳天皇と道鏡の関係をテーマにした『女帝の手記』もある。
「里中満智子 道鏡」で検索すると、直ぐにこの作品をヒットする。もしも里中満智子さんが本当に道鏡事件を語ったと思うのであれば、ジャーナリストならば検索して出てくるような事実は調べておくべきだろう。と言うのも、『女帝の手記』はまさに(私とは観点が違うが)「道鏡擁護論」の初期の作品だからだ。
里中さんが言っているのは、むしろ皇族と藤原氏との婚姻のことを言っていると思うのだが、そもそも『週刊新潮』が里中さんのコメントの真意を本人には確認せずに、八木秀次氏や本郷和人氏にコメントさせているのは、異常である。週刊誌の常套手段なのかもしれないが、ジャーナリストならばまず、本人に取材をしてその結果を読者に伝えるべきでは無いのか。
そもそも、里中満智子さんの発言の部分引用だと、里中さんが女性宮家反対派だとミスリードしかねないが、里中さんはこう言っているのである。
「皇族」が「生まれ」を条件とするなら、どなたと結婚なさろうと本来は一生皇族のまま。一般人と結婚し、はじめて苗字をもっても本人の出自は「内親王」「女王」なのでそのまま名乗っても不自然ではないが。法律上問題があるなら「皇女」がよろしいかと。
これは、本来、女王や内親王は結婚しても皇籍を失わなかった古代や中世の歴史を背景に言われているのであろう。また、こうも言われている。
男系男子が一人も存在しなくなった場合を考えて、いろんなケースごとに準備をしておくことが望まれる。もし仮に「女系天皇しか選択肢がない」ような状況になれば、女系天皇、新しい王朝という事態も受け入れることも考えておく必要がある。
もっとも、里中さんは旧宮家復活に賛成のようであるが、男系の皇統維持と旧宮家復活とが結びついているようである。
男系の皇統を維持すると言うのは、神武天皇の男系子孫が天皇に即位するということであり、そして神武天皇の男系子孫は沢山いる。
仮に、神武天皇の男系子孫の一人と内親王殿下が結婚された場合、その子供は神武天皇の男系子孫であると同時に、親等も旧宮家以上に今上陛下に近くなる。このように、男系の皇統を維持することは必ずしも旧宮家復活を意味はしない。
こういうと「男系での親等は~」とか言ってくる人が出てくるかもしれないから、念のために言っておくと、旧宮家は男系の親等で見ると一部の華族よりも今上陛下から遠い血縁なのである。
旧宮家復活論者は、男系の皇統を維持するといつも言っているが、それが本音なのかは多いと怪しいと、私は睨んでいる。
根拠は二つある。
一つ目は、小室圭さんへのバッシングだ。脚フェチ侯爵も小室さんへのバッシングに参加していたが、本当に男系の皇統を守りたい、女性宮家を潰したいと言うのであれば、これはおかしくないか?
何しろ、もしも眞子内親王殿下が小室さんと結婚して臣籍降下すると、佳子内親王殿下と愛子内親王殿下だけに女性宮家を認めるのは困難になるから、女性宮家設立の可能性は著しく低下する。ところが、この男系派にとっての大チャンスを、脚フェチ侯爵ら旧宮家復活論者は妨害した。
その結果、今でも眞子内親王殿下は皇籍にとどまっている。眞子内親王殿下が皇籍にいる間が長引けば長引くほど、女性宮家設立の為の猶予が生まれて男系派は不利になる。
しかも、現役皇族の彼氏を悪く言えば言うほど皇室にダメージが生まれる。脚フェチ侯爵の父親の贈賄容疑も皇室へかなりのダメージを与えたが、彼は三男だから戦前の基準でも臣籍降下していたのに対し、眞子内親王殿下は今上陛下の姪であり、悠仁親王殿下の御姉様である。
二つ目は、脚フェチ侯爵が繰り返し述べている「宮家が4つから5つあれば側室が無くとも皇統は守られる」と言う発言だ。
これは、自分自身が二股交際しておきながら、皇族の側室を許さない男が、側室が無くても男系の皇統は守られるという根拠として言っているのであるが、少しでも政治的センスがあればこの言葉の「裏」を読むのは当然。
彼の発言は、仮に旧宮家の数が3つ以下であれば「側室抜きの旧宮家復活では、皇統は断絶しますよ」と言う意味になる。
さて、皆様、旧宮家の数を数えてください。男系男子の旧宮家が5つもありますか?
そう思ってみてみると、さぁ大変。旧宮家の内、嫡流で男系男子が残っている家は、4つしかない。しかも、その男系男子が婚姻適齢期を過ぎても独身であったり子供がいなかったりする家もある。
そうなると、次世代においては旧宮家の数が3つ以下になることは、確実。
「いや、嫡流以外であれば!分家の皆様も皇籍に戻ればいい!」と言う皆様、脚フェチ侯爵を始め、分家の皆様は現に皇籍復帰しないと明言しておられます。
つまり、旧宮家復活論者の皆様は「4つから5つ宮家があれば側室が無くても大丈夫(3つ以下だと大丈夫じゃない)」「3つ以下の旧宮家を復活させ側室を認めない」と言っていることになる。
それは要するに、男系の皇統は維持できないと言うことである。
私が脚フェチ侯爵を左翼だと言っている理由は様々あるが、その根本的な理由がここにある。
旧宮家復活論者は、意図的に皇統断絶を狙っているとしか思えない。
左翼のスパイが戦前から保守界隈に工作をしてきたことはご存知の方も多いとは思う。例えば、近衛文麿内閣を支持した右翼も多かったが、その中にはチャッカリ共産主義者が幹部で居座っていた。
今回の件にも私は同じ匂いを感じるのである。
ところで、tapirさんが私の道鏡に関する記事を紹介してくださっていたので、そのことについて触れさせていただきたい。
私は里中満智子さんが道鏡再評価の先陣を切ったことは評価したいが、『女帝の手記』には色々と問題もあった。
まず、作品評価として言わせていただくと、私がアセクシャルだから思うのかもしれないが、「恋愛=性行為」と言う前提があることが気持ち悪い。
そもそも、若き日の孝謙天皇を藤原仲麻呂に流された意思の弱い女性、みたいに描くのは大いに問題である。
tapirさんも引用していた勝浦令子先生の研究でも明らかだが(私の『選報日本』の記事も勝浦先生の論文を元にしているが)、孝謙天皇はかなり意志の強い女性であり、10代の頃から熱心に仏教を信仰していたのである。それも、女性向けの経典である『勝曼経』等ではなく、鎮護国家の経典の写経をしていた。そのこと一つとっても里中さんの描いたものとはかなりイメージがことなる。
さらに言うと、晩年の称徳天皇は剃髪していたはずである。まぁ、それは絵にするために髪の毛を伸ばしたままにしたのかもしれないし、その程度の改変は漫画だと許されるのかもしれないが。
里中さんの歴史学の知識自体は、あながちズレてはいないと思う。
例えば、中臣習宜阿曾麻呂によるニセ神託は道教を追い落とすための藤原氏の謀略であるという説、中臣習宜阿曾麻呂を中臣氏としたのは里中さんの無知故であるが、彼の行為が藤原氏の謀略であることを示唆する論文は昨年出版の『古代史論聚』にも掲載されていた。
だから『女帝の手記』は漫画作品としては傑作であると思う。
里中さんがどうして旧宮家復活論者に靡ているのかは理解し難いが、「保守ならば安倍政権を支持しないといけない」みたいな、謎の固定観念に捉われていないことを祈りたい。
そう言えば、tapirさんの投稿に会った道鏡皇胤説、これは戦前の歴史学の権威である喜田貞吉先生も学術論文の形で触れられているから、決してトンデモ説ではない。
ただ、私は道鏡が大臣の子孫と言う記録があるので、これは支持していない。
この問題で、最近新たな発見もあった。
従来、『養老律令』は藤原仲麻呂主導で施行されたとされていた。だが、これは孝謙天皇主導であると考えるべきである。
藤原仲麻呂は『養老律令』施行以前に『墾田永年私財法』制定を主導している。そうである以上、もしも『養老律令』制定を藤原仲麻呂が主導したのであれば、その内容に『墾田永年私財法』の要素が入っていないとオカシイ。しかし、『養老律令』は『墾田永年私財法』における私有地の存在を前提としていない。
対して、孝謙天皇は称徳天皇として重祚した後、『墾田永年私財法』を停止している。つまり、『養老律令』施行を孝謙天皇の政策とした場合は、一貫しているのである。
しかも、孝謙天皇は『養老律令』制定の前後に、氏姓の無い百姓に氏姓を与える政策も実施している。これも藤原仲麻呂の政策とみることは難しい。
孝謙天皇と藤原仲麻呂とが「当初は協調していた」と言うことは、後世の先入観では無いのか。『続日本紀』の内容を今一度、読みなおすべきである。
なお、『養老律令』は女性の財産相続権を重視していることで知られるが、これも藤原仲麻呂の政策とするよりも孝謙天皇の政策とした方が解釈しやすいであろう。
ちなみに、『養老律令』制定自体は藤原不比等が行っている関係上、藤原仲麻呂もこれには反対しにくかったであろうし、それこそが孝謙天皇の狙いであったと思われる。政敵の意向には沿わないが政敵も反対出来ない政策を提案するとは、中々優れた政治的手腕である。
『女帝の手記』には描かれていなかった、藤原仲麻呂の謀略を巧みに躱す「良い意味でしたたかな女帝」の顔が有ったのではないか。
折角tapir様が私のブログを話題にして下さっていたので、私見を書かせていただいた。tapir様に感謝したい。
私が立憲民主党に入党した理由
私は立憲民主党の党員です。
別に隠している訳ではありませんが、生長の家信徒の皆様には特に何も言っていなかったので、もしかしたら私の日頃の言動と比べて混乱される方がいるかもしれません。
なので今回、改めて私が立憲民主党に入党した理由を御教えに基づいて説明させていただきます。
ご存知の通り、生長の家は教団としてはどの政党も支持していません。
しかし、それは信徒に「どの政党も支持するな!」という意味のものでは、無いはずです。
むしろ、信者の一人一人が自身の信仰に従い、自己内在の神性・仏性に従って支持政党を決めてほしい、と言うものであると考えます。
私は「自分は行動せずに文句を言うだけ」の人間にはなりたくありません。そもそも、そのような態度は光明思想に反するものです。
なので、私は政党の構成員となって、微力ながらも日本国実相顕現のために行動していきたいと考えました。
生長の家は、これまでの声明でいくつかの政策を示しています。
1.地球環境問題の解決
2.「戦争参加法制」への反対
3.原発再稼働への反対
4.スーパーシティ構想への反対
5.『日本国憲法』第9条改正への反対
この5つの観点に適う政党で、且つ、全国レベルに組織と候補者が確りしている政党は、立憲民主党と日本共産党しかありません。
それに加えて、『”新しい文明”を築こう』には「天皇の恩、国の恩に感謝しなさい」という文章もあります。
日本共産党は将来的な民主共和制への移行を目指している政党ですが、立憲民主党は毎年皇居清掃奉仕団と一緒に靖国神社へ参拝している重徳和彦先生も所属されています。
以上の事情を総合的に考慮し、立憲民主党へと入党するのがもっとも日本国実相顕現のために私が活動しやすい環境を築くことができると、判断させていただきました。
私が立憲民主党に入党した理由についてはこれでご理解いただけたと思いますが、私が判断材料の中に『日本国憲法』第9条改正の反対を含めていることについては、一部から批判があるかも知れません。
まず、私が『日本国憲法』第9条改正に反対する教団の方針を支持する理由については過去に別のブログで触れていますので、再掲させていただきます。
2.九条改憲に反対する
α 谷口雅春先生の「9条改正」に対する立場
過去に生長の家は9条改正に賛成する活動をしていたことはありますが、一方で雅春先生は「第九条のみを改正しようというような部分改正では、却って日本は米軍事体制の餌食になる」という三島烈士の言葉を引用した上で、「第九条の戦力放棄条項のみの改正では、国家百年の大計を誤ることになるのであります」と述べられています。
つまり、憲法9条を単に改正するのではなく、その結果何が起こるかも考えた上で、憲法改正論議を行わなくてはならないのです。
戦争参加法制のように、日本を守るための法律と思いきやアメリカの侵略戦争に協力し「米軍事体制の餌食になる」ような法律を制定するために憲法を改正するのであれば、谷口雅春先生がご存命ならば「国家百年の大計を誤ることになる」と言われたことでしょう。
しかし、「第九条の戦力放棄条項のみの改正」がダメならば憲法を全面的に改正すれば良いのではないか?という方もおられるかもしれません。
確かに、現総裁・谷口雅宣先生も「きちんとした議論や手続きを経て、戦前のような軍部の暴走を止める仕組みを作るのであれば、自衛隊を軍隊として認めることもあり」と言われています。
谷口雅宣先生がどうして安倍政権による9条改正に反対するのかは、『SAPIO』のインタビューで次のように述べられています。
「現在の政権が行おうとしていることは『アメリカに言われたから地球の裏側にも自衛隊を派遣します』といった話です。」
つまり、まさに谷口雅春先生が危惧した通りの改憲を行おうとしているからこそ、谷口雅宣先生は今の安倍政権の方針に反対しているのです。
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この記事を書いた後、私の考えも変化しました。それは2019年、インドで佐々井秀嶺上人(元インド政府少数者委員会仏教徒代表)の下で修行させていただいた経験からです。
当時のインドは(今もですが)パキスタンや中国との臨戦態勢下にありました。
臨戦態勢下と言うよりも、戦時下と言った方が良いかもしれません。私がインドにいる間、国境地帯では空爆で死者が出ていましたし、インド国内にある数千のモスクが政府の圧力で閉鎖されました。
各地の空港ではライフルを持った兵士が厳戒態勢に当たり、私も入国早々ライフルを持った兵士に囲まれるという体験をしました。これ自体はインドの治安レベルもある話ですが、現地の人に聞いても、パキスタンとの対立が警戒強化につながっているようです。
宗教によるヘイトクライムの激しいインドでは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で相互にテロや小競り合いも珍しくありません。(仏教徒とヒンドゥー教徒の間で死者が出ることもあるほどです。)
一般に「インドのイスラム教徒の数は13%」と言われていますが、これは嘘です。インドの宗教に関する統計は信用できません。それは私が実際にインドの、それも下層民の人たちと暮らして実感しました。
実際には、少なくとも、インドのイスラム教徒は約3割はいるはずです。インドでは下位カースト階級やカーストに含まれない「階級外階層」のダリットの人たちの中に、イスラム教や仏教を信仰している人が多いのですが、彼らの多くはヒンドゥー教のカースト社会を維持するために、その信仰を「無かったこと」にされます。さらに一部の州では『改宗禁止法』まで制定されており「隠れムスリム」や「隠れ仏教徒」が少なくありません。
このように、インドでは「国家」よりも「宗教」や「カースト」がしばしば優先されます。そのため、同じ国民同士でも政治の場では激しく争いますし、場合によって文字通り命まで奪われるのです。
そんなインドですが、ヒンドゥー教徒もイスラム教徒も、日本人である私には好意的でした。
私は最初、「日本人がお金を持っているからか?」と思っていましたが、直ぐにそれは違うと知りました。
インドにお金を落としているだけならば、中国もそうですが、中国はインド人に嫌われています。またそもそもインドは、イギリスの経済侵略が植民地化につながった経緯から、海外資本の流入に否定的な国です。
中国とインドの間には領土問題があるから仕方ないにしても、アメリカも嫌われています。インドでは一時期は「コカ・コーラ」の販売が禁止されていたほど、反米勢力が強いのです。(と言いながら、実際にはインド人はコカ・コーラが好きなので今では解禁されていますが。)
それではどうして日本が嫌われていないのか。その理由の一つは、チャンドラ・ボースらを日本が支援したこともあるでしょう。(チャンドラ・ボースの話は多くのインド人が知っています。)
また、日本山妙法寺や霊友会がインドに仏教を弘めたこと、佐々井秀嶺上人のようにインドに帰化した日本人がいたことも、インド人の親日感情に貢献しているはずです。
しかしながら、何よりも、日本の自衛隊が未だかつて外国人を殺していないこと、それが大きいのではないでしょうか?
よく「憲法9条では国を守れない!」と言う人がいますが、私はむしろ「『日本国憲法』第9条が日本人を守っている」面は大きいと感じます。
無論、世界の多くの人は『日本国憲法』第9条の存在などは知らないでしょう。しかし「日本の軍隊は自分たちの同胞を殺していない」という事実は、親日感情に大きく貢献しているはずです。
後藤健二さんが「ダーイシュ」政府(自称「イスラム国」)に殺されたとき、日本のマスコミは「ISを許すな!」の大合唱でした。しかし、もしも日本がアメリカの侵略戦争に参加すると、何十人、何百人もの人を殺してしまうかもしれません。そうすると、殺された側は「日本を許すな!」の大合唱になるはずです。
私がインドにいた時、一番恐れていたのが、安倍首相が自衛隊をアメリカの指示で中東に派遣して、そこで自衛官が現地のムスリムを殺してしまうことです。
その瞬間、イスラム教徒の間での日本への親近感は、一気に消えます。特に現にイスラム教徒によるテロが頻発しているインドでは、文字通り命が危なくなるでしょう。