「口撃する自由」だと?
某宗教団体の副代表が、「谷口雅春先生に帰る」と称する匿名掲示板で次のような投稿をしたらしい。
批判する自由、口撃する自由は、何人にも保証されなければなりません。
これが宗教家の発言であろうか?
「批判」と「口撃」とは、全く別物である。
「口撃」とは、何か。デジタル大辞泉では次のようである。
[名](スル)《「攻撃」のもじり》弁論で他者を批判・非難すること。口先で攻撃すること。「対立候補を口汚く
口撃 する」
ただの「批判」では、ない。「批判」は必ずしも「攻撃」では、ないからだ。
同じくデジタル大辞泉では、次のように記されている。
[名](スル)
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判 する」「批判 力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判 を受ける」「政府を批判 する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること
これを見れば判るように、「批判」に「攻撃」の意味はない。「口撃の自由」とは、宗教家が口にするのはあまりにもナンセンスである。
このような人物が「万物調和」を説いた谷口雅春先生の名前を騙るとは、詐欺にも等しいことである。