現代版・宇宙浄化の祈りは決して「宇治限定」ではありません!
「口撃する自由」とやらを主張している某宗教法人の幹部が「破邪顕正」というHNで「谷口雅春先生に帰る」という掲示板で次のように投稿している。
谷口雅宣先生の、「宇宙浄化の祈り」の言葉の加筆について”
こう書いてあるところをみると、所謂、宇治の「改訂版」なるものを、「tapir」さんは、“背教総裁”の指導があってのことと見ているのでしょうか。
もし、本当にそうであるならば、今までの通例から言って、“背教総裁”は、全国に、「このように文言を改めて実修するように」と通知したはずです。
“ニューバージョン「宇宙浄化の祈り」”とか称して…。
そして、その「改訂版」を、この度の「中巻」に掲載したはずです。
大事なことは、どうして、これが「大日本神国観」と一緒に削除されたのか…。
ここなのです。
文言を訂正、加筆するぐらいでは済まない、大きな事情があったと見るべきなのです。
それは何でしょうか。
「tapir」さんには、釈迦に説法かと思うのですが、結局、その一番の理由は、「宇宙浄化の祈り」そのものが“住吉大神”のお働きの祈りに他ならないからです。
折角、神様を“住吉大神”から“造化の三神”に取り替えたというのに、「宇宙浄化の祈り」をそのまま残して“住吉大神出でまして…”と称えられたのでは首尾一貫しないことになる…。
だから、どうしても、それを排除したかった…。
“背教総裁”にしてみれば、どんな文言を加筆しようとも許されるものではない…。
その存在自体を消してしまわないといけないものだった…。
それが「宇宙浄化の祈り」ということなのです。
他の記事の内容も含めて要約すると、彼は次のように言っている。
①教団は「宇宙浄化の祈り」の実修を禁止している。(或いは、本部は否定的である)
②「吾が日の本と地球世界を」という改訂版は「宇治限定」のものである。
③谷口雅宣先生はその「改訂版」も含めて「存在自体を消してしま」おうとしている。
だが、これは全て彼の妄想である。私は「吾が日の本と地球世界を」という改訂版を、宇治ではなく兵庫教区で「本部の方針」として、確かに聞いた。
念の為に検索してみたが、やはり生長の家埼玉教科部の機関紙にも同じ文言の祈りが載っている。
当時の埼玉の教化部長は故・多湖周子先生である。多湖先生は総裁先生に中心帰一されていた方であったから、この内容は総裁先生の意向に沿うものであると考えて問題ない。
また、この記事によると改訂版宇宙浄化の祈りは楠本行孝先生も実修されていたようである。私も是非受けたかったものだ。
もう既に教団を離脱している破邪顕正氏が教団の通達のすべてを把握しているはずがない。自分の調査能力不足から勝手に妄想をして
「総裁は宇宙浄化の祈りを(改訂版を含めて)消そうとしている!」
というのは、言語道断な話である。
流石は「口撃する自由」なるものを言い出す宗教家は違う。