生長の家正統派青年のブログ

生長の家青年会一信徒の個人のブログです。正統な宗教法人「生長の家」は1983年に自民党と訣別し、2016年以降は全ての国政選挙で自民党不支持を訴えています。ブログ記事の文責は教団ではなく私個人にあります。

一応志恩さんに返事します

 別に私の投稿を批判している訳ではないようですが、総裁先生の幼い頃もよくるという志恩さんの投稿「H様ブログにおけるH様からtapir様宛のコメントですが、当時、原宿本部において、総企画局課長から政治局事務局長になった大峡儷三先生の事実上のアシスタントをしていた私が、当時のことをよく知る者としてコメントさせていただきます。 (29037) 」において私の投稿についてコメントを書いてくださったので、私もコメントさせていただきます。

生長の家の、政治運動としてやったのは
優生保護法改正運動」、それ、一つだけではありませんでした。

 私は生長の家の政治運動が『優生保護法』廃止「一つだけ」とは一言も言っていませんから、これは特に私の投稿への批判では無いでしょうが、第三者が誤解するかもしれないので、ここで念押ししておきます。

 一方、これは明らかに事実誤認です。

つまり、生長の家が、政治運動から手を引いたのが、昭和54年(引用者註:昭和58年の間違いか)だとしますと、
・「優生保護法改正運動」と   
・「日本を守る会」という日本共産党撲滅運動と、
二つの政治運動から 手を引いたのだと思います。

 昭和58年に行われたのは、生長の家政治連合の活動停止だけです。『優生保護法』改廃運動はその後も行われています。私が確認した限り、生長の家兵庫教区青年会は平成に入ってからも『優生保護法』廃止の署名を集めています。

 ただ、生政連活動停止の理由として「『優生保護法』改正の失敗」が当時の『聖使命』に載っています。つまり、生政連では『優生保護法』廃止が出来なかったから(むしろ弊害が目立ったから)その形態での運動を止めただけで、形を変えて運動自体は続けていたわけです。

 なお、平成に入ってから生政連は正式に解散しています。

 また、「日本を守る会」や「日本を守る国民会議」から生長の家が離脱したのは、昭和60年のことであって昭和54年のことではありません。生長の家の反共愛国運動は生政連結成前に始まり、生政連活動停止後も続いていたわけです。

 このことから判るのは、生長の家は政治問題について様々な形でアプローチを行っており、生政連の活動はあくまでもその一形態に過ぎなかった、ということです。また、生政連は恐らくその当時においてもっとも効果的な活動であると考えられたわけで、共産革命防止「だけ」が理由ではありません。