日本建国の精神は「八方の国々が合意して平和を実現すること」
今日は建国記念の日です。日本建国の精神について、生長の家総裁谷口雅宣先生はこうかたられています。
この建国記念日は、『古事記』や『日本書紀』に記された日本の神話にもとづくものです。神話は歴史ではありません。現在の世界のほとんどの国々では、近代の民主主義革命や現代の独立記念日が建国記念日になっています。これは昨年も申し上げたとおりです。だから、世界のほとんどの国の建国は歴史にもとづいて理解されているが、日本とお隣の韓国ぐらいのごく少数の国が、有史以前の神話にもとづいた建国記念日をもっている。これは大変珍しいことで、世界に自慢できることの1つだろうと思います。
しかしその反面、神話にもとづいているというそのことに、1つの問題が内包されています。それは、近代や現代の歴史的事象に建国の基礎を置く国々では、“建国の理想”とか“建国の精神”というものが「憲法」や「独立宣言」などの歴史的文書の中に明確に記されており、その解釈にあまり異論を差し挟む余地がないのです。しかし、神話にもとづいて建国を定めた場合、神話というものはその性質上、様々な解釈が可能な一種の“文学作品”でもあります。だから、“建国の精神”が何であるかは人によっていろいろに解釈できる。そういう意味で、戦前・戦中に「紀元節」としてこの日が祝われていた当時、日本の建国神話の中の様々な出来事や言葉について--例えば「八紘一宇」という言葉について--当時の政権の都合のいいような解釈が強制されたのです。このことを私たちは忘れずに、同じ間違いを2度と繰り返してはならないと思います。
そういう過去もあったので、残念なことですが、現在の日本では「建国の理想」についての国民的な合意がまだできていません。だから、一方には「戦前・戦中の紀元節と同じ日を建国記念日にすることは戦前の日本へ還ることにつながる」として反対する人々が大勢います。またその逆に、他方には戦前・戦中の考え方は正しいとして、それが「建国の理想」だととらえる人もいます。私たち生長の家では、そのいずれの立場とも違うのであります。それは、谷口雅春先生が説かれたように、日本建国の精神とは「武力によって世界を統一することではなく、神意にしたがって、八方の国々が合意して平和を実現すること」だと考えます。そして、そのことは『日本書紀』の神話にも明確に書いてあるのです。この話は昨年もしましたが、大切なことなので繰り返してお話しましょう。
神武天皇が国を統一する際、一番の強敵だった長髄彦(ながすねひこ)という人がいました。神武天皇は長髄彦と戦ったときに大変苦戦をされて一度退却されます。お兄さんの五瀬命(いつせのみこと)が流れ矢に当たって重傷を負います。そういう経験をされた天皇は、それまでの自分のやり方に何かまずい点があったのではないかと考え、神々に聴いてみる。すると、神からの次のようなお告げがあったと『日本書紀』には出ています。重要な部分なので原文を引用します:
「今我(いまやつかれ)は是れ日神(ひのかみ)の子孫(うみのこ)にして、日に向いて虜(あた)を征(う)つは、此れ天道(あめのみち)に逆(さか)れり。若(し)かじ、退き還りて弱きことを示して、神(あまつやしろ)祇(くにつやしろ)を礼(いや)び祭(いわ)いて、背(そびら)に日神(ひのかみ)の威(みいきおい)を負いたてまつりて、影(みかげ)の随(まにま)に圧踏(おそいふ)みなんには。此(かく)の如くせば、曽(かつ)て刃に血ぬらずして、虜(あた)必ず自ずからに敗れなん」
このように、神武天皇は、自分が太陽神である天照大神の子孫でありながら、太陽に向って進軍していたのでは神の御心にかなわないと判断された。つまり、苦戦の原因は神意に歯向かっていたからだと考えられ、いったん退却してからその土地の神々を祀られて、背中に太陽を負ってもう一度進む--即ち、神の御心に従って進む。そうすれば、血を流さずに敵は自ら降参する、と述べられたわけです。このことから分かることは、「常に神の御心を聴き、真理の光を背負って進む」のが日本の建国の理想であるということです。「真理の光を背負う」とは、真理に歯向かわず、「ハイ」と言ってしたがうことです。自分の利益を優先せずに、神意に聴き、正しいことを素直に実行するということです。そういう精神が、日本の神話に表れた建国の精神であるということが、もっと多くの日本人の間で合意される必要がある、と私は思うのであります。
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それでは「神意にしたがって、八方の国々が合意して平和を実現する」とはどういうことなのか。
生長の家第二代目総裁である大聖師谷口清超先生はこう述べられています。
つまり全ての人々は、小さな自分の殻に閉じ籠らないで、多くの人々のために、よい事をし、愛を与え、徳を積まなければならない。それは個人でも国家でも同じことである。日本が広く全世界に貢献すればするほど、日本は益々健康となり、繫栄するのである。つまり国力がのび、多くの国々から愛され、期待される立派な国に成長する。
ところがこの向きに逆行すると、どんなに愛国者的にみえても、結局は国を亡ぼす方向につき進んで行く。
(谷口清超『真・善・美の世界がある』日本教文社、223~224頁)
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本当の愛国とは日本が世界に貢献する国になることであり、それは日本建国の精神の実現でもあるのです。
これは生長の家という一宗教団体が勝手に言っていることでは無く、そもそも天皇陛下の大御心です。
今上陛下は即位の際、こう述べられました。
さきに,日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに「即位礼正殿の儀」を行い,即位を内外に宣明いたします。
上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間,常に国民の幸せと世界の平和を願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに,改めて深く思いを致し,ここに,国民の幸せと世界の平和を常に願い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
国民の叡智とたゆみない努力によって,我が国が一層の発展を遂げ,国際社会の友好と平和,人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。
(「即位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば」)
このように天皇陛下は常に日本が「国際社会の友好と平和,人類の福祉と繁栄に寄与すること」を願っておられます。
この大御心を輔翼して国際平和に貢献することが、我々国民の義務であると信じます。