戦争は「やめようと思えばいつでも消えてしまうもの」である
世間では戦争を無くすなどという事は絵空事である、と言ったことをこれ見よがしに言う者がおり、むしろ「戦争は無くならない、このことが判っている俺は賢い、リアリストだ」とでも自慢したがっているものも少なくないように感じられる。
しかしながら、戦争というものはいつでも無くすことが出来る。何故ならば戦争は実在では無いからである。
生長の家初代総裁である大聖師・谷口雅春先生はこう説かれている。
問 私たちの心が想うから悪い現象があらわれるというのは、具体的に言えばどういうことですか。
答 たとえばですね、私たちが戦争を思い浮かべる。ソ連では、アメリカは侵略者であり帝国主義者であるから、何時その尨大な物量と科学的兵器に物を言わせて攻めて来るかも知れぬと思うから、それを防ぐ準備として原子兵器を準備しなければならぬと想う。アメリカでは、ソ連は共産主義による世界征服をねらっているのだから、それを防ぐために、原子兵器をたくわえなければならぬ。誘導弾を、もっと発達させなければならぬと想う。この想うことが「想念」ですね。その想念の具象化(形にあらわれること)によって色々の恐るべき武器ができる。そして武器をそんなに造っていると、武器を人の心が見てちょっと使ってみたい誘惑が起こる。そしてついに互いに火花を散らすようになる。すなわち、戦争は心に於いて先ず始まるというユネスコの考え方も吾々の考え方と同じなのです。
問 「戦争は心に於いて先ず始まる」としても、その起こっている戦争は実際に存在するのではありませんか。
答 それは、私たちの心の反映としてアラワレているものとしては存在しています。しかし、それは実在ではないのです。実在とは本当にあるもので、それは神につくられた存在で、確乎不動に厳とした存在で、人間の心のあり方で消えたりあらわれたりフラフラするような存在ではないのです。ところが戦争は、人間が人を憎むことをやめ、物質に執着する心をやめ、戦争をやめようと思えばいつでも消えてしまうものなのです。人間の心の変化で左右されるようなものは、人間の心の影であって、実在ではありません。それは、“現象”というものに過ぎません。
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戦争は私たちの心によって作られるのであるから、心によって無くすこともできるのである。宗教の最大の役割はそこにある。
宗教の仕事を病気治しだとかあの世での救いだとか言う風に思っている者は、如何に熱心に信仰していても、熱心な利己主義者であるにすぎない。
従って、生長の家を信仰する者は政治に無関心であってはならないのである。
私たちが平和を心に描いて政治に参画すると、必ず政治に平和な心が反映されて、日本のみならず世界が平和となる。逆に、防衛費増税と言う風に自国民の生活をも犠牲にして軍備を拡張するとなれば、そもそも自国民の生活が平和にならない、そうなると心に平和を描くことが難しくなるので、却って戦争を招きかねないのである。
実際、ソ連はアメリカと軍拡競争をした結果、アメリカとの戦争に勝つどころかあべこべに自国の経済を崩壊させてしまって国家自体が消滅したのである。
戦前の日本もよく「中国戦線では勝っていた」という者がいるけれども、中国戦線においても大量に軍備を投入していた結果、経済には大混乱をきたしていた。そのような愚を再び犯すことがあってはならない。